新与太随筆

以前運営していた、「与太随筆」をバージョンアップして引っ越してまいりました。目玉企画は、世の中の不条理を褒め倒して風刺する「褒殺風刺地獄」と、枠に囚われずに感化善導出来る話を紹介する「人生の教科書 一日一話」です。

為政者に学ばせるべき上杉鷹山の人徳

私は今年で34歳だが、生まれてこの方、日本のニュースで政治家や官僚などの為政者の犯罪のニュースが流されない時期はなかった。

私利私欲の為だけの、処世。

陽明学的に言えば、

「上が上ならば、下も下」

なので、若者がどうだろうと社会がどうだろうと為政者がそのような悪態ならば、それは全て為政者の責任である。

そこで、そういう為政者はもちろん私達庶民も為政者の理想像として見るべきなのが、江戸中期の名君として名高い米沢藩藩主・上杉鷹山(1751−1822、享年72歳)ではないだろうか。

鷹山の功績は、世界中に鳴り響いている。

「経済一流、政治は二流」

と言われる現在の日本。

実際は、この評価はバブル時代までの日本の評価のようなものなので、頼みの経済も二流に落ちたと捉える人もいるし、政治は二流はおろか三流、四流に落ちぶれたと言っても何ら過言はない。

ただ鷹山は、200年近く前に生きていた人であるが、今の日本のどの政治家よりも優れ、経済人としても一流である。

つまり、日本の政治は歴史とともに衰退したのは歴然とした事実。

ただ、200年近く前には世界でも超一流の政治化が実在したのである。

その手腕及び処世術は、現在の世界の政治家からも尊敬されているのである。

それが、この鷹山なのであるが、その所以を紹介しようと思う。

鷹山は1751(寛延4)年、高鍋藩主(秋月種美)の次男として生まれた。

高鍋藩は、小さな藩であった。

その次男だから、決して恵まれた少年時代を送ったわけではない。

ただ、父が運営する藩政は後に名君と言われる鷹山の実父らしく、清廉を基礎にした治世であった。

それを眼に焼き付けた鷹山は10歳の時に実母方の祖母の生家である米沢藩の跡取りに白羽の矢が立った。

米沢藩は当時、戦国最強の武将と名高い・上杉謙信を祖とする名家で15万石の大藩であった。

上杉家は、徳川幕府にとっては予断を許さない眼の上のタンコブだった。

武力・経済力・そして精神的な強さも伝統であり、それが脅威であった。

その為、江戸から遠ざけるように転籍を繰り返させられた。

しかし、そこで名門意識が災いとなった。

120万石あった石高も、米沢藩に移った時は八分の一の15万石にまで激減。

それにも関わらず、120万石の時と同じ程度の家臣を養っていた。

そして、当時の米沢藩の借金は二十万両。

されど米沢藩の当時の収入は三万両強。

自ずと財政事情は、困窮してくるし破綻はすぐそこであった。

されど、名門の意識が災いし藩政はそのプライドを堅持するかのごとく浪費を繰り返していた。

米沢藩主となった鷹山は、それを見て大幅な改革を断行する事を決意した。

節約は、当たり前である。

ただ、それを庶民に強いるよりまずトップである自分自身が示した。

名門によくある儀礼的な物の中で、無駄なものは縮小や廃止。

藩主自身の生活の衣食住を倹約し、往時の七分の一まで減額させた。

それを見た庶民は、意気に感じた。

当たり前である。

現在の日本程ではないにしろ、当時の日本の為政者も私利私欲で無能な連中ばかり。

幕府ですら困窮を極め、どこの藩も困窮しているような状態にも関わらず、何の手も打たない為政者ばかりであった。

手を打つと言えば、弱い立場の庶民から年貢を搾り取るだけ。

年貢を税金と変えれば、現在の状況と驚くほど似ていると思うのは私だけだろうか?

そんな中で、まず自分の身を賭す姿をトップが見せれば庶民の民意が付いて来るのは当然と言える。

その中で、農政改革、産業改革、学制改革を三本柱に断行した。

まず、地場の物で財源となりそうなものを奨励。

寒冷地の米沢藩で、適した殖産興業を考え楮(こうぞ)、漆(うるし)、紅花(べにばな)、桑を奨励。

そして、それが枯渇(こかつ)しないように、その特産物の植え立てをも奨励し永続的な特産物にしようとした。

そして、庶民にやらせるだけでなく鷹山自身も城内で植樹を実行した。

その一つが、有名な米沢織や米沢紬(よねざわつむぎ)につながり現在も高い評価で受け継がれている。

ただ、そうなると体が思うように動かなくなってきていう老人は足手まといに成りかねない。

実際、姥捨ての伝統があったという。

その老人達にも生き甲斐や、老人の必要性を認識させ老人の居場所を作ると共に、それを米沢藩の財政を潤わせる事になる事業を奨励した。

その福祉の充実は、今でも眼を見張るものである。

それが、名高い米沢鯉の養殖を任せたのである。

鯉は、体を構成する三大栄養素の一つであるたんぱく質のたんぱく源にもなり、庶民の健康にも好影響を及ぼし、鷹山の庶民を考えた政治は功を奏していった。

これらで、悪名の高い天命の大飢饉をも乗り切った。

全国に猛威を振るった飢饉も米沢藩には、餓死者が出なかったという。

凶作が頻繁に起こる当時、冷害を見越して鷹山は農民に大麦栽培を奨励。

大麦は、酒や醤油や味噌の原料となるもので、冷害に強いものである。

大麦の種が無い農民には、米沢藩が低価格で払い下げていたと言う。

そして備蓄も実行。

しかし、古株の重臣から反旗を翻させられた。

名目上は、なりふり構わぬ藩政改革は名門・上杉藩の名を汚すものだと言うものであったが、実情はそれまで受けていた自分の利権が手に入らなくなったからである。

もちろん、それは打破された。

庶民は、目線が庶民に向いた政治をする藩主・鷹山支持に向いていたし、他の家臣ももう一度生き返ろうと、今までの醜態を洗いなおそうと主人に懸命についていった。

農民も武士も藩主も関係なく、藩の為に働く。

それにより年齢関係なく生き甲斐を得て生活も安定する「自助」。

そして藩主自ら、弱いものを助け年長者を敬う姿勢を見せる事で、飢饉などの眼に見える形でなくとも助け合う「互助」。

そして、強いものが弱いものを労わり助ける「扶助」。

この三つの「三助」で、米沢藩には心身両面共に充足した住み心地が良く、母国愛が芽生える理想郷のような空気が流れていった。

その精神面を、更に充実させるために藩校・興譲館を再興させた。

興譲館では、身分を問わず学ぶ機会を与えた。

学問を分け隔てなく教える事で、藩全体に道徳感を浸透させて未来永劫(みらいえいごう)、米沢藩の体制が道徳感を基本に運営し、庶民も道徳感を基本に生きていける理想郷をを作り出そうとしたからである。

貧しさの為に、赤子の間引きが横行していた。

その為に鷹山は、間引きを禁止したが禁止するだけでなく、前記した改革により庶民を潤わせて、道徳を教え込むことで道徳に反する事を自重させるような流れを作った。

また、鷹山には、こんなエピソードもある。

正妻は、前藩主・重定の長女・幸姫(ゆきひめ)。

この幸姫が、脳障害の持病を持っていた。

その為、幼子のような幸姫に対し鷹山は徹底的に愛(いつく)しみ尽くした。

そこには慈悲が溢れていたために、重臣達の更なる尊敬をも集めていった。

そして鷹山35歳の時に、潔く家督を前藩主・重定の次男の治広に譲った。

鷹山の実子がいたのにも関わらずである。

その潔さには、現在の為政者の出処進退の劣悪さが目立って鼻に付く。

質素倹約を旨として、自ら実行。

民を第一に考えることを実行し、それを実行した。

精神だけでなく、財布の中も潤わせ,生き甲斐をも作った。

また、背中で見せる事を重視した鷹山は、自分を律し続ける人生でもあった。

文武両道を実践し華美を嫌い、愛民の姿勢を貫いた。

その生き様は、かの有名なJ.F.ケネディー大統領やB.クリントン大統領が、日本人の政治家で一番尊敬する偉人として名を挙げたという。

努力し続け律し続けた人生。

権力を握ったものは、自由を謳歌するためではなく自由を与えるのが仕事。

現在の為政者は、そこが根本的に間違えている。

これが本当の政治であり、為政者の仕事である。

私達庶民も、騙されずにそれを理解し為政者を監視していかなければいけない。

私達の、なけなしの血税で養う為政者なのですから。

そして、これから為政者を目指す方には常にこの鷹山の人生を胸にしまっていて欲しい。

私達庶民も、この鷹山の生き様を胸にしまい、弱いものが不遇を味合わなくて済む理想郷を目指すために、道を外れた為政者を見つけ出し責任を取らす事が出来るようにしましょう。

「庶民に心配されるくらいに、為政者は質素を貫け」

と西郷隆盛が言った通りに、それが信頼を勝ち取る。

信頼は、下手な経済論よりかは有効な増資方法である。

為政者は自由を謳歌したら失格。

不自由にならなければ、本物ではない。

最後に、鷹山が残した言葉について考察したいと思う。

まず家督を治広に譲った時に送った教えの「伝国の辞」の三か条、




一、国家は先祖より子孫へ伝候国家にして我私すべきものにはこれ無く候

(国家は先祖から子孫に伝えるところの国家であって、自分で身勝手にしてはならないものです。)

一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候

(人民は国家に属している人民であって、自分で勝手にしてはならないものです。)

一、国家人民の為に立たる訓にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候

(国家と人民のために立てられている君主であって、君主のために立てられている国家や人民ではありません。)




この三か条は詭弁(きべん)ではなく、鷹山が正に人生を賭して実行してきた政治である。

果たして、日本の現在の為政者でこの三か条の一つでも実行している人はいるだろうか?

まず、いないといのが現状でしょう。

そして、一番有名な鷹山の言葉、

 成せばなる

成さねば為らぬ何事も

成らぬは人の為さぬなりけり

(やろうと思えば何でもできます。 できないのはやろうと思わないからです。
 やろうとすることは他人のためではなく、自分のためになるのです。)




正にその通りですね。

現に実行してきた人の言葉だから、非常に説得力がある。

日本の堕落し切った為政者にも振り返って欲しいと共に、私達庶民にも数多くの気付きを抱かせてくれる名君・上杉鷹山の人生。

鷹山の人生を振り返る事自体が、一冊の教科書以上に学ぶ事の多い偉人である。

  1. 2008/01/28(月) 21:05:31|
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Author:善導義塾塾長
1974(昭和49)年生まれ。日本体育大学卒で現職は御荷物三流ドアマン。趣味は、
・乱読(遅読派)
・アジテーション(扇動)
・権力の不正濫用に抵抗する事
・金をかけないトレーニング(鉄棒・平行棒を中心とする自重トレーニング、プライオメトリックス、SAQ等)
・日帰り低山登山(締めは立ち寄り湯)
このブログを基盤に、権力の腐敗を監視糾弾する為の執筆活動及び政治活動・社会運動に没頭したいというのが夢です。

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