現在は鎮火しつつあるが、ホリエモンや村上ファンドの村上世彰でブームになった株の投資にて伝説的な男がいた。
その名は、是川銀蔵(これかわぎんぞう)。
通称、是銀(これぎん)。
ホリエモンや村上世彰は、投資家等と呼ばれるのだろうか是銀は相場師とか仕手と呼ばれる泥臭いイメージの投資家。
実際は、呼び名が違うだけでそれ程変わりは無いが、社会への還元及び男気に溢れているのは独断ながら相場師とか仕手と蔑(うと)まれて呼称される人に多いと思うのは私だけだろうか?
さて、話を是銀に戻そう。
是銀は1897(明治30)年、兵庫県の貧しい猟師の家の七人兄弟の末っ子として生まれた。
ほとんどが貧しい時代であったが、是銀の家はその中でも際立って貧困であり、常に借金取りに怯える少年時代を送った。
その為、小学校を卒業後に丁稚奉公8でっちぼうこう)に従事。
しかし、その会社も数年後に倒産。
世界の経済の中心地であったロンドンを大志を抱いて目指すも、第一次世界大戦に巻き込まれ中国で足止め。
気持ちを切り替え起業。
しかし、中々うまくいかずに起業→倒産を繰り返し第二次世界大戦の終戦を迎える事となる。
そこで、是銀は一念発起(いちねんほっき)。
「株が最高の経済学」
という事に気づいた是銀は、地元の大阪の図書館に通い詰め、株についてそして資本主義について勉強しつくした。
それも、その時期は是銀が度々の貧困に喘(あえ)いでいた苦しい時。
その中、貧困を物ともせず図書館に三年間通い詰めた。
今その時の渇きよりも、世間体など世間に蔓延(はびこ)る不安に負けず将来の種付けに精を出したのである。
この猛勉強が、伝説の相場師・是川銀蔵の基礎を築いた。
その後の株式相場では、是銀の大活躍が鳴り響いた。
しかし、そこには卑(いや)しというより人情味が色濃かった。
逮捕の憂(う)き目に合うも、日頃面倒を見ていた朝鮮人の嘆願(たんがん)により釈放されたり、私財を投げ打って交通遺児の奨学金の財団を創設したり、社会福祉団体へ多額の寄付をしたりする慈善事業をライフワークとし、私生活は慎(つつ)ましやかに質素倹約に努める等、セレブな生活を謳歌したホリエモンや村上世彰とは違う人情が人気を獲得した。
そして、1983年の高額納税者番付では「世界的経営の神様」松下幸之助や「最強のタニマチ」佐川清 佐川急便創設者を抑え一位に躍り出た。
また、是銀には自慢の息子がいた。
低学歴で浮き草稼業の自分とは違い、ノーベル賞候補に挙がる位の新進気鋭の学者となった長男・是川正顕。
この長男・正顕が余命幾許も無い喉頭癌に侵されてしまった。
自慢の長男を助けたい一身から、約100億円の損失を出しながら必死に助けようとした。
残念ながら、程なく長男・正顕は亡くなったし、相場師として肉親の私情を持ち込んでの大損失を非難する声もあったが、その人情を賞賛する声も多かったのも事実である。
私は、非情になりきり肉親といえども容赦なく切り捨てる男も魅力的だと思うが、私情を挟んでしまう弱いところのある男の人情は、非情に魅力的に感じる。
そして、是銀は生涯現役を貫き、1992年に95歳で大往生した時、資産は愚か多額の借金を残していたという。
「人の不幸に便乗したり、騙したりして儲けたくない」
との精神を体現して、日本一の相場師になった是川銀蔵。
そして、慎ましやかな生活をし続け、社会にその儲けを還元した。
その精神性はもちろん、学ぶべき所が多い。
しかし、是銀は崇高なその精神性と共に、日本一の相場師と畏敬される実績をも築いた。
貧困に喘ぎながら、それを物ともせず三年間図書館に通い詰め、株と資本主義を習得した執念に確固たる揺るぎ無い信念。
そして、それ以降は、日経新聞を毎日隅から隅まで読み尽くすのみで知識を得て、日本一の実績を築いた思い切った割り切り。
是銀のこの二つの実践主義は、どの年代の、どの境遇の人でも学ぶべき響く所が大いにあると思う。
(2007年8月29日)
- 2008/01/14(月) 12:39:42|
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