いつ、衆議院の解散総選挙が行なわれるのか?
それが、有力な焦点となっている。
昨年の参院選に引き続き最大野党・民主党が、勢いに乗り自民党を打ち破り第一党に躍り出るか?
そこが、衆議院の解散総選挙の最大の関心事となるだろう。
そこで、民主党を考察してみようと思う。
一番特徴的なのは民主党には、
「次の内閣」
というのがあるのを、皆さんご存知だろうか?
「次の内閣」とは、民主党が政権を獲った時を仮定して、その時の内閣を作っているのである。
その現在の構成は、
次の内閣「閣僚」 氏名 前所属政党
総理大臣 小沢一郎 自由
副総理 菅直人
輿石東 民主 (さきがけ )
参・民主(社民 )
国務大臣 鳩山由紀夫 民主(さきがけ)
総務大臣 原口一博 民政
外務大臣 鉢呂吉雄 民主(社民)
防衛大臣 浅尾慶一郎 参・民主(新進 )
内閣府担当大臣 松井孝治 参・民主
財務大臣 中川正春 民政
金融担当大臣(経済財政担当) 大畠章宏 民主(社民)
厚生労働大臣 山田正彦 自由
年金担当大臣 長妻昭 民主
経済産業大臣 増子輝彦 参・民主(新進)
法務大臣 細川律夫 民主(社民)
文部科学大臣 小宮山洋子 民主
子ども・男女共同参画担当大臣 神本美恵子 参・民主
農林水産大臣 筒井信隆 民主(社民)
国土交通大臣 長浜博行 参・民主(新進)
環境大臣 岡崎トミ子 参・民主(社民)
官房長官 直嶋正行 参・友愛
官房副長官 長妻昭(兼務)
福山哲郎 民主
参・民主
(wikipediaを参照)
この内閣ごっこは、子どもの御飯事(おままごと)と一緒で何と親しみやすい事か。
民主党に、非常に親近感が沸いて来るのではないだろうか?
政権を獲ってもいないのに、次の内閣を選定し、それを世間に公言する恥ずかしさは、想像を絶する物であろう。
私が同じ立場なら、断固拒否する。
しかし、民主党の議員は、それをどうどうと所属の党の方針として受諾し、「次の内閣」に選ばれた人は、胸を張って公言している。
その恥知らずの勇気には、頭の下がる思いである。
国政を担当する議員には、この位の恥知らずの勇気が必須。
自民党も、犯罪者を多数輩出しているにも関わらず、偽善者ぶる物言いに態度をとる恥知らずの勇気を持っている。
日本も二大政党制を取ろうとしている。
その自民党と民主党の二大政党の特色は、恥知らずの勇気。
ただ、政権を獲っていないのに「次の内閣」を作り上げて公言する恥知らずの勇気を持った民主党の議員の末恐ろしさは、自民党も脅威を感じているはずだ。
「次の内閣」を置き換えると、
「自分の彼女ではないのに、「次の彼女」と公言する悪質ストーカー」
のような痛さがある。
その痛さをも問題視せず、鼻高々に胸を張る民主党議員は何かやってくれるかもしれない。
もう、やっちゃてるか!?
ただ、これ以上の事をやちゃってくれるかもしれない。
そういえば、民主党の議員同志の会話では次の内閣に選ばれた人には、
「大臣!」
と呼称するらしいのである。
悪質ストーカーは、その悪質ストーカー一人で成立する。
しかし、悪質ストーカーに置き換えられる民主党のおままごとは、悪質ストーカー以上に突き抜けている。
この突き抜け度で、衆院解散総選挙も頑張って欲しい。
ただ民主党には頑張って欲しいが互いに、
「大臣!」
と呼び合う「次の内閣」の方々の、滑稽な姿をまだまだ見ていたいという思いもある。
しかし、日本の政治って面白いですね。
合掌。
- 2008/01/31(木) 23:08:35|
- 褒殺風刺地獄
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フジテレビ系で、先日まで放映されていたドラマ「SP警視庁警備部警護科第四係」。
皆さんは、御覧になったでしょうか?
私は、キャストを見て大笑いさせてもらったので、大満足で見るに至りませんでした。
「SP」とは「セキュリティー・ポリス」の略で、要人警護を専門に行なう警察官の事を言う。
対象は、総理大臣など国会議員の主要役職者を中心に国賓や、生命の危険に晒(さら)されている人などである。
もちろん、普通の警察官よりもハードルが高く男女は問わないが、格技、射撃、人間性、精神力、体格と高レベルで要求される中を勝ち抜いたエリートが任務につく職。
それをモデルにしたドラマの主役が、泣く子も黙らせる天下のジャニーズ事務所の岡田准一(V6)。
私の現職は二流ドアマンをしているので、要人が来る機会があり、それに付き物の「SP」を見る機会に一般人より恵まれ話す機会も幾度と無くあった。
もちろん日本の「SP」は、お飾りのようなものである。
アメリカの「SP」である「シークレットサービス」や、アメリカ軍の憲兵である「MP(ミリタリーポリス)」と接する機会もあるが、日本の「SP」との実力差は正直甚だしい。
お飾りで職務を遂行出来るという事は日本の平和さを象徴しているが、そのお飾りの日本の「SP」にしても岡田准一で勤まるほど甘くは無い。
それも、その上司を堤真一がやっていたらしいが、これも予告だけしか見ていないが滑稽すぎて爆笑してしまった。
不祥事ばかりで世界でも屈指の低レベルな日本の警察を馬鹿にするために、勇気を持って非難するために、敢えて度を越えた滑稽さを表現できるキャストにしたのではないか?
それか、秀逸な喜劇として空前絶後の滑稽さを表わしたかったのか?
どちらかの理由で、あるはずだと思う。
それしか、考え付かない。
それにも増して、両方の要素を狙っていたのであれば「現代のチャーリー・チャップリン」と言っても過言ではない風刺を織り交ぜた批判精神がある普及の喜劇であったのではないかと思う。
そんな名作喜劇を、予告で大爆笑した事によりお腹一杯になってしまって見逃した事は後悔です。
「泣く子も黙らせる」天下のジャニーズ事務所のアイドルも、番頭のSMAP木村拓哉を筆頭にチャップリンに負けず劣らずの喜劇俳優になれる逸材ばかり。
このドラマの岡田准一も、木村拓哉もうかうか出来ない喜劇俳優に急成長中である。
日本の漫画が、ブームとして世界を席巻して早10年強。
次は、「泣く子も黙らせる」天下のジャニーズ事務所のアイドル喜劇俳優などを中心とする「喜劇」ではないか。
その滑稽っぷりは、世界でも類を見ないはずである。
頼みの経済が、超一流から二流に近い一流に落ちてきている日本。
21世紀の日本は、文化で勝負する時代。
漫画の次は、アイドル喜劇俳優の喜劇。
バブル経済の時は、
「ジャパンマネー」
が猛威を奮い世界を恐怖に陥れたが、これからは、
「ジャパン・アイドルコメディ」
かもしれない。
このドラマには、それくらいの末恐ろしき実力を誇る事を証明する秀作であったようである。
期待しましょう。
合掌。
- 2008/01/30(水) 21:46:41|
- 褒殺風刺地獄
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私は今年で34歳だが、生まれてこの方、日本のニュースで政治家や官僚などの為政者の犯罪のニュースが流されない時期はなかった。
私利私欲の為だけの、処世。
陽明学的に言えば、
「上が上ならば、下も下」
なので、若者がどうだろうと社会がどうだろうと為政者がそのような悪態ならば、それは全て為政者の責任である。
そこで、そういう為政者はもちろん私達庶民も為政者の理想像として見るべきなのが、江戸中期の名君として名高い米沢藩藩主・上杉鷹山(1751−1822、享年72歳)ではないだろうか。
鷹山の功績は、世界中に鳴り響いている。
「経済一流、政治は二流」
と言われる現在の日本。
実際は、この評価はバブル時代までの日本の評価のようなものなので、頼みの経済も二流に落ちたと捉える人もいるし、政治は二流はおろか三流、四流に落ちぶれたと言っても何ら過言はない。
ただ鷹山は、200年近く前に生きていた人であるが、今の日本のどの政治家よりも優れ、経済人としても一流である。
つまり、日本の政治は歴史とともに衰退したのは歴然とした事実。
ただ、200年近く前には世界でも超一流の政治化が実在したのである。
その手腕及び処世術は、現在の世界の政治家からも尊敬されているのである。
それが、この鷹山なのであるが、その所以を紹介しようと思う。
鷹山は1751(寛延4)年、高鍋藩主(秋月種美)の次男として生まれた。
高鍋藩は、小さな藩であった。
その次男だから、決して恵まれた少年時代を送ったわけではない。
ただ、父が運営する藩政は後に名君と言われる鷹山の実父らしく、清廉を基礎にした治世であった。
それを眼に焼き付けた鷹山は10歳の時に実母方の祖母の生家である米沢藩の跡取りに白羽の矢が立った。
米沢藩は当時、戦国最強の武将と名高い・上杉謙信を祖とする名家で15万石の大藩であった。
上杉家は、徳川幕府にとっては予断を許さない眼の上のタンコブだった。
武力・経済力・そして精神的な強さも伝統であり、それが脅威であった。
その為、江戸から遠ざけるように転籍を繰り返させられた。
しかし、そこで名門意識が災いとなった。
120万石あった石高も、米沢藩に移った時は八分の一の15万石にまで激減。
それにも関わらず、120万石の時と同じ程度の家臣を養っていた。
そして、当時の米沢藩の借金は二十万両。
されど米沢藩の当時の収入は三万両強。
自ずと財政事情は、困窮してくるし破綻はすぐそこであった。
されど、名門の意識が災いし藩政はそのプライドを堅持するかのごとく浪費を繰り返していた。
米沢藩主となった鷹山は、それを見て大幅な改革を断行する事を決意した。
節約は、当たり前である。
ただ、それを庶民に強いるよりまずトップである自分自身が示した。
名門によくある儀礼的な物の中で、無駄なものは縮小や廃止。
藩主自身の生活の衣食住を倹約し、往時の七分の一まで減額させた。
それを見た庶民は、意気に感じた。
当たり前である。
現在の日本程ではないにしろ、当時の日本の為政者も私利私欲で無能な連中ばかり。
幕府ですら困窮を極め、どこの藩も困窮しているような状態にも関わらず、何の手も打たない為政者ばかりであった。
手を打つと言えば、弱い立場の庶民から年貢を搾り取るだけ。
年貢を税金と変えれば、現在の状況と驚くほど似ていると思うのは私だけだろうか?
そんな中で、まず自分の身を賭す姿をトップが見せれば庶民の民意が付いて来るのは当然と言える。
その中で、農政改革、産業改革、学制改革を三本柱に断行した。
まず、地場の物で財源となりそうなものを奨励。
寒冷地の米沢藩で、適した殖産興業を考え楮(こうぞ)、漆(うるし)、紅花(べにばな)、桑を奨励。
そして、それが枯渇(こかつ)しないように、その特産物の植え立てをも奨励し永続的な特産物にしようとした。
そして、庶民にやらせるだけでなく鷹山自身も城内で植樹を実行した。
その一つが、有名な米沢織や米沢紬(よねざわつむぎ)につながり現在も高い評価で受け継がれている。
ただ、そうなると体が思うように動かなくなってきていう老人は足手まといに成りかねない。
実際、姥捨ての伝統があったという。
その老人達にも生き甲斐や、老人の必要性を認識させ老人の居場所を作ると共に、それを米沢藩の財政を潤わせる事になる事業を奨励した。
その福祉の充実は、今でも眼を見張るものである。
それが、名高い米沢鯉の養殖を任せたのである。
鯉は、体を構成する三大栄養素の一つであるたんぱく質のたんぱく源にもなり、庶民の健康にも好影響を及ぼし、鷹山の庶民を考えた政治は功を奏していった。
これらで、悪名の高い天命の大飢饉をも乗り切った。
全国に猛威を振るった飢饉も米沢藩には、餓死者が出なかったという。
凶作が頻繁に起こる当時、冷害を見越して鷹山は農民に大麦栽培を奨励。
大麦は、酒や醤油や味噌の原料となるもので、冷害に強いものである。
大麦の種が無い農民には、米沢藩が低価格で払い下げていたと言う。
そして備蓄も実行。
しかし、古株の重臣から反旗を翻させられた。
名目上は、なりふり構わぬ藩政改革は名門・上杉藩の名を汚すものだと言うものであったが、実情はそれまで受けていた自分の利権が手に入らなくなったからである。
もちろん、それは打破された。
庶民は、目線が庶民に向いた政治をする藩主・鷹山支持に向いていたし、他の家臣ももう一度生き返ろうと、今までの醜態を洗いなおそうと主人に懸命についていった。
農民も武士も藩主も関係なく、藩の為に働く。
それにより年齢関係なく生き甲斐を得て生活も安定する「自助」。
そして藩主自ら、弱いものを助け年長者を敬う姿勢を見せる事で、飢饉などの眼に見える形でなくとも助け合う「互助」。
そして、強いものが弱いものを労わり助ける「扶助」。
この三つの「三助」で、米沢藩には心身両面共に充足した住み心地が良く、母国愛が芽生える理想郷のような空気が流れていった。
その精神面を、更に充実させるために藩校・興譲館を再興させた。
興譲館では、身分を問わず学ぶ機会を与えた。
学問を分け隔てなく教える事で、藩全体に道徳感を浸透させて未来永劫(みらいえいごう)、米沢藩の体制が道徳感を基本に運営し、庶民も道徳感を基本に生きていける理想郷をを作り出そうとしたからである。
貧しさの為に、赤子の間引きが横行していた。
その為に鷹山は、間引きを禁止したが禁止するだけでなく、前記した改革により庶民を潤わせて、道徳を教え込むことで道徳に反する事を自重させるような流れを作った。
また、鷹山には、こんなエピソードもある。
正妻は、前藩主・重定の長女・幸姫(ゆきひめ)。
この幸姫が、脳障害の持病を持っていた。
その為、幼子のような幸姫に対し鷹山は徹底的に愛(いつく)しみ尽くした。
そこには慈悲が溢れていたために、重臣達の更なる尊敬をも集めていった。
そして鷹山35歳の時に、潔く家督を前藩主・重定の次男の治広に譲った。
鷹山の実子がいたのにも関わらずである。
その潔さには、現在の為政者の出処進退の劣悪さが目立って鼻に付く。
質素倹約を旨として、自ら実行。
民を第一に考えることを実行し、それを実行した。
精神だけでなく、財布の中も潤わせ,生き甲斐をも作った。
また、背中で見せる事を重視した鷹山は、自分を律し続ける人生でもあった。
文武両道を実践し華美を嫌い、愛民の姿勢を貫いた。
その生き様は、かの有名なJ.F.ケネディー大統領やB.クリントン大統領が、日本人の政治家で一番尊敬する偉人として名を挙げたという。
努力し続け律し続けた人生。
権力を握ったものは、自由を謳歌するためではなく自由を与えるのが仕事。
現在の為政者は、そこが根本的に間違えている。
これが本当の政治であり、為政者の仕事である。
私達庶民も、騙されずにそれを理解し為政者を監視していかなければいけない。
私達の、なけなしの血税で養う為政者なのですから。
そして、これから為政者を目指す方には常にこの鷹山の人生を胸にしまっていて欲しい。
私達庶民も、この鷹山の生き様を胸にしまい、弱いものが不遇を味合わなくて済む理想郷を目指すために、道を外れた為政者を見つけ出し責任を取らす事が出来るようにしましょう。
「庶民に心配されるくらいに、為政者は質素を貫け」
と西郷隆盛が言った通りに、それが信頼を勝ち取る。
信頼は、下手な経済論よりかは有効な増資方法である。
為政者は自由を謳歌したら失格。
不自由にならなければ、本物ではない。
最後に、鷹山が残した言葉について考察したいと思う。
まず家督を治広に譲った時に送った教えの「伝国の辞」の三か条、
一、国家は先祖より子孫へ伝候国家にして我私すべきものにはこれ無く候
(国家は先祖から子孫に伝えるところの国家であって、自分で身勝手にしてはならないものです。)
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
(人民は国家に属している人民であって、自分で勝手にしてはならないものです。)
一、国家人民の為に立たる訓にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
(国家と人民のために立てられている君主であって、君主のために立てられている国家や人民ではありません。)
この三か条は詭弁(きべん)ではなく、鷹山が正に人生を賭して実行してきた政治である。
果たして、日本の現在の為政者でこの三か条の一つでも実行している人はいるだろうか?
まず、いないといのが現状でしょう。
そして、一番有名な鷹山の言葉、
成せばなる
成さねば為らぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり
(やろうと思えば何でもできます。 できないのはやろうと思わないからです。
やろうとすることは他人のためではなく、自分のためになるのです。)
正にその通りですね。
現に実行してきた人の言葉だから、非常に説得力がある。
日本の堕落し切った為政者にも振り返って欲しいと共に、私達庶民にも数多くの気付きを抱かせてくれる名君・上杉鷹山の人生。
鷹山の人生を振り返る事自体が、一冊の教科書以上に学ぶ事の多い偉人である。
- 2008/01/28(月) 21:05:31|
- 人生の教化書・一日一話
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和田アキコって、非常に性格が良いですよね。
ロリコン性犯罪者(示談のため不起訴)の極楽トンボ・山本圭一の復帰を後押しするような発言を恥ずかしげも無くしちゃうんですから。
反抗期のようになった沢尻エリカには、
「締めてやる!」
と、激怒したのにですよ。
悪質な犯罪を犯した山本圭一には、非常に寛大。
元・モー娘。の辻希美の出来ちゃった結婚にも激怒されてました。
これも、犯罪性は全く無いにも関わらず。
それも、一般常識では当時19歳の未成年の女性を妊娠させた相手の男優(杉浦太陽)を叱るのが普通であると思うのだが、そこをはらまされた辻希美に攻撃するなど常識に縛られる人では絶対出来ません。
若い女性の出る杭には目くじらを立てる。
しかし、男性の犯罪には寛大に対応する。
それを常識で、小姑(こじゅうと)とは言ってはいけません。
唯一の売りである背の大きさ(174cm)に比して、心は限りなく小さいのですから小姑ではなく、大姑と言うべきでしょう。
私は男なので、和田アキコの男尊女卑は非常に心強い。
もちろん、女卑の対象は大体が若くて容姿に優れた女性。
島田紳助の悪質な暴行にも、寛大に対応し支援までしました。
悪質な犯罪までしても、支援してくれる和田アキコは男として聖母にしか見えません。
救いようの無い性犯罪者の田代マサシに対してもそうでしたね。
何で、そこまで男に対して寛大なんでしょう。
その代わり、久本雅美や森久美子とかの「部類」の女性タレントには、男性に対しての寛大さと一緒。
誇大評価をして、売り出しに太鼓判を押してあげる優しさも持ち合わせています。
これを、
「単なる、性質(たち)の悪いジェラシーだろ」
と常識的な事は言ってはいけません。
人のことより、自分の事を考えましょう。
これを読んでいる方が男性の方なら、こんなに頼もしい女性はあまりいません。
和田アキコは、10年以上、理想の上司の上位10位にランクインしているそうです。
徹底的にいじめられるであろう若い女性の票も入っていると思われますが、その徹底的な男尊に、若い女性たちは私達にも味方してくれると勘違いしたのでしょう。
若い女性でも味方してくれるのは、久本雅美や森久美子のような「部類」の女性のみ。
そこまで勘違いさせる圧倒的な差別は、細木和子にも劣らないものがあるでしょう。
有名なエピソードで、飲み会が開かれたホテルで和田アキコは出川哲郎を外に放り出して放置し凍死寸前まで閉じ込めて、それに対して大笑いをしていた大物。
その和田アキコが自分の叱り方に対してのインタビューがありました。
その一文が言行不一致ながらわが道を行く和田アキコの魂を表わすものだったのでありがたく皆さんで享受しようと思いました。
それを、男性の皆さんと享受したいと思ったので添付します。
「若い人たちはみんな個性、個性っていうけれど、個性ってのは常識の上に築かれるものでしょう。大人がへっぴり腰になって、常識を若い人たちに伝える回路がなくなってしまった。大人の責任は大きいですよ。そしてこうも思うんです。『叱る』という行為は究極の愛情表現。本当はみんな叱られたがっているんじゃないかって」
これが、男尊の聖母・和田アキコの精神構造。
和田アキコの真実を知った若い容姿の整った女性からは大批判を受けるでしょうが、人間結局自分が一番で唯一。
恥ずかしげも無く男尊に邁進する男性の味方・和田アキコは、やはり凄いです。
普通の人で、ここまで言行不一致で大きな顔は出来ません。
そこまでして男尊を貫くのは、男として心から感謝したい。
合掌。
- 2008/01/26(土) 21:53:59|
- 褒殺風刺地獄
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人と言うのは完全ではないので、間違う事はある。
それは国や行政や政治家様、官僚様だってそうだ。
だから、間違いそのものを糾弾するのも酷な例もある。
今回は、そんな中の社会の権力者様達の間違いを紹介したいと思う。
ただ、勘違いして欲しくないのは、それを私は糾弾しようというわけではない。
このブログを見ている中で権力者様の方か、その近親にいる方がいれば、
「間違えていますよ!」
と、柔らかく指摘して欲しい。
間違いは誰にもあることだから。
権力者様が間違えていると言うその間違いは、「クレーマー」という言葉の解釈。
その「クレーマー」っていう人種を、皆さんお知りでしょうか?
日本では、
「理不尽な脅迫的要求をする人や団体」
的な意味で使われている。
それは、東芝クレーム事件 に代表されるように、権力者様側ではなく私達庶民の要求に対して使われる場合が多い。
「クレーマー」という単語自体が和製英語なのだが、その語源となった「クレーム」は
「正当な異議、苦情、要求」
の事を言うのである。
だから、
「理不尽で脅迫的な要求をする人や団体」
という解釈は完全なる間違いであるのだが、そこは不問にしましょう。
そこまで、目くじらを立てると島国日本ではうまく生きていけないので。
それよりも、前記した東芝クレーム事件に代表とされる庶民の「クレーマー」が、この和製英語の「クレーマー」という解釈に入るのかというと、これこそ完全なる間違いであるという事を理解しないで権力者様側が使用しているので、これを私達庶民はお世話になっている権力者様側に伝えてあげるべきだと思うのである。
そうしないと、グローバルな付き合いをしなくてはいけない権力者様のお歴々が、赤っ恥をかいてしまうので、それに遣える私達庶民としては忍びない。
日本人は、理不尽な事があっても、騒がない事を美徳とする民族である。
「男は黙って〜」
などというキャッチコピーが以前ありましたが、見て見ぬ振りが日本人の村社会を支えてきました。
だから、個を確立し討論して物事を進めていくという文化がある諸外国では、日本で今言われている「クレーマー」は、正当な異議、苦情、要求と言われる範疇(はんちゅう)のど真ん中に入るのである。
騒がず見て見ぬ振りを美徳とする日本人には、
「逸脱しているクレーム」
と受け取られても、冷静に考えれば基本的人権における正当な異議、苦情、要求というのがほとんどなのだ。
それよりも、日本においては権力者様(政治家、官僚、財界トップ、大企業等)の方が断然に、
「理不尽で脅迫的要求」
する人や団体が多い。
税金もそうだろう。
税金を徹底的に搾り取り、それを権力者様達は私利私欲の為に使う事が多い。
しかし、止むに止まれず税金を滞納した庶民には、徹底的に取り立てる。
罪に対してもそうである。
庶民には、冤罪(冤罪)を平気で仕掛けたりするが、権力者様達は、隠蔽(いんぺい)をライフワークとして隠蔽のためなら何でもするし強引に切り抜ける。
だから、正当な要求しかしない庶民など「クレーマー」を名乗る資格はない。
つまり、「クレーマー」を名乗る資格があるのは、我らが日本の権力者様方だけなのである。
理不尽さにかけては、日本の権力者様達は世界に誇る実力を持っている。
慎ましやかに世界に誇れるようなその実力をひけらかさない日本の権力者様達は、何と飾り気が無い事か。
だから、私達庶民が権力者様たちにちゃんと真の、
「クレーマー」
と評価してあげようではないですか。
私達日本の庶民の「クレーマー」など、我らが日本の権力者達の得意技である庶民に対する窃取、冤罪、隠蔽という「クレーマー」っぷりに比べると鼻糞程度にもならない。
庶民の「クレーマー」など、単なる正当な主張。
ちゃんと我が国を評価する事こそ、愛国心である。
だからこそ日本の権力者達に、
「世界に類を見ない真の【クレーマー】」
ですねと評価してあげましょう。
国旗掲揚・国歌斉唱が強制化されるような右傾化する日本に、愛国心は欠かせません。
ですので、時代に乗って私達も愛国心を発揮するべきでしょう。
合掌。
- 2008/01/25(金) 17:56:32|
- 褒殺風刺地獄
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皆さん、考えていただきたい。
それは、税金の事。
小難しい事は、言いません。
ただ、納税している方は見ていただきたい。
日本国民は、納税する義務があります。
だから、納税している方はその義務を嫌々でも進んででも実行している事になります。
ただ、日本国から納税するという義務を遂行した事への権利を与えられていますか?
私も折り目正しくきっちり支払っているが、全く権利は与えられず迫害されまくっている。
政治家や官僚の公金横領や不正流用が、連日のようにニュースに流されていますが、それは全て私達から搾り取られた血税という税金である。
不良債権処理に際しても、公的資金投入という責任逃れの表現で血税を搾り取られた。
今、問題となっている社会保険料不払いの問題もそうである。
責任逃れの表現と、難解の表現の羅列で要点をずらす事で分かりにくくさせられるが、結局は日本国が国民から日々、泥棒をしているのである。
泥棒は、列記とした犯罪。
それも、犯罪の王道である。
ここまで、盗みを重ねまくった罪人は世界を探しても、絶対いないだろう。
それも、これだけ泥棒されて何も行動も起こさず、泥棒されている所に無償の献金という税金を支払っている人は馬鹿としか言いようが無い。
それが日本国民なのである。
そして、その世界最強最悪の泥棒が、日本国なのである。
税金を頑(かたく)なに支払っていない人は、大人として正しい選択である。
私のように従順に泥棒に献金している馬鹿な国民は、無理矢理の義務を背負わされているのだから、それに対する権利をせめて主張しましょう。
それでなければ、私達は奴隷そのものである。
互いに利益が得られるように、一方が財産や労力を提供する変わりに、それに相当する報酬を得るのが契約。
税金も、この契約である。
だから、勘違いして欲しくないのは税金は国家や行政に無償提供する代物ではない。
その為、日本国家に契約の履行を要請するのは当然の権利だし、日本国民としての勤めである。
日本国家は、日本国民をなめきっています。
だから、契約を問題なく破棄します。
いつまでも、日本国家に自分の大切な財産を盗まれ続けますか?
人により程度の差はあれ、日本国家に契約の履行を迫りましょう。
問題意識を持ちましょう。
そして、疑う事を知りましょう。
古から、国家は人民に犠牲は強いるが、それに報いようとはしないもの。
これが、歴史の常です。
それに、負けてはいけません。
ちょっとずつでも、正義の抵抗をしていき、日本国を真に住みやすいようにしていきましょう。
- 2008/01/23(水) 21:37:11|
- 辻説法
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事前情報を知る立場にあるNHK記者の、株インサイダー取引疑惑のニュース。
世間では、非難轟々(ごうごう)だが私は大賛成である。
インサイダー取引をした記者の真の狙いを私はこう理解したからである。
NHKと言えば、受信料で成り立っています。
しかし、NHK関係者の犯罪連発で反感を食い、その受信料の徴収が思うように進んでいないのが現状。
だから、インサイダー取引をした記者はその徴収できない受信料に代わり犯罪を犯してでも、その分を出来るだけ補填(ほてん)したいという気持ちでいっぱいだったのではないかと思うのである。
NHKは犯罪多発企業 なので、犯罪への悪寒は薄い。
だから、これらの記者も犯罪の意識は無かったのではないか?
弱いものの苦悩を、自分のペンで強いものを倒す事を仕事のやりがいと感じるはずの記者という職業なので、インサイダー取引で儲けた株の売り上げで出来るだけ受信料の負担をしようとしたのであろう。
それを考えると、何て反骨心のある記者であるかと感嘆してしまう。
流石、公共放送!
NHKの多発する犯罪は全て、庶民のためでは無いのか。
そうとまで、思ってしまう。
そうでなければ、こんなに劣悪な犯罪を連発する公共放送機関が世界のどこにもあるはずが無い。
世界で、こんなに劣悪な犯罪を多発する公共放送機関はNHKのみで、そのレベルは群を抜いているから、それだけNHKは庶民の為に邁進(まいしん)しているのであろう。
ありがたや、ありがたや!!
皆さん、庶民の為に劣悪な犯罪を繰り返すNHKに感謝をしましょう。
ちなみに、NHKの日本名は何て言うのでしょうか?
日本 犯罪 協会
でしたっけ?
気が向いたら、調べておきたいと思います。
合掌。
- 2008/01/22(火) 21:51:41|
- 褒殺風刺地獄
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ヌルヌルと言えば、総合格闘家の秋山成勲。
昨年大晦日の三崎和雄戦でKO負けをしたが、その際の顔面へのサッカーボールキックが反則であると秋山陣営は正式に提抗議文を提出したとのニュースが先日流れました。
「やれんのか」のルールでは、三崎対秋山戦の問題にしているシーンの俗に言う両手両足がリングについた「四点ポジション」においての顔面や頭部への蹴りや踏み付けは禁止されている。
しかし、大勢を占める見解は、
「流れの中での蹴りであり、両手両足がついていたわけではなく、起き上がりざまであった為に、問題は無い」
と判断するだろう。
贔屓目(ひいきめ)に見なければ・・・。
ただ、私はそんな事はどうだって良い。
秋山の愛称である「ヌルヌル」が、あまりにも的を得ている秋山の人生に感心するのである。
正に、秋山の人生の処世術が「ヌルヌル」そのものだからである。
「ヌルヌル」と言えば、うなぎ。
うなぎは捕まえようとしても、中々捕まらないでスルッと逃げてしまう。
捕まりそうで捕まらない代物である。
つまり、
「捕まりそうで捕まらない」
そのうなぎのような人生遍歴を極めたのが、この秋山なのである。
一躍、「ヌルヌル」を全国区にした桜庭和志戦。
オイル疑惑もあやふやで終わらせた。
故意か故意で無いかは、結局五里霧中に消えた。
最初は、多汗症で言い逃れしようとしたが、世の中の押しが予想以上に強く一転、クリーム使用を告白。
「乾燥肌防止をする目的で、クリームを使ったがルール違反だとは知らなかった」
と、威風堂々と弁明。
その開き直りは、立派そのもの。
その後光は、眩(まぶ)しすぎて真正面では見れないくらいだった。
「それなら、多汗症と言い訳した時に、クリーム使用を明言しなかったのか。」
という疑問が世間に噴出しましたが、それには答えずあやふやに終息させました。
あっぱれ!
それと、グラブのEDWINのロゴが試合開始のときは完全に剥がれていた事と、右手のグローブが異様に膨れ上がっていた事。
そして、試合の映像でその右手から金属のようなものが見える事。
これらの重大疑惑には一切答えなかったし、主催者を完全に見方につけて、
「悲劇のヒーロー」
のストーリーに強引に転換し、無理矢理この話題を終わらせた。
それも、この試合はノーコンテストに。
ノーコンテストは、両方が何らかの事情で試合が成立しなかった時に使うもの。
しかし、この試合は秋山の反則そのものが成立させなかった原因。
この優遇具合も、主催者側との癒着など、疑惑は増幅されるが、これも「ヌルヌル」っと乗り切った
しかし、「ヌルヌル」という処世術の大家・秋山は、こんなものではない「ヌルヌル」のカリスマなのである。
秋山のバックボーンは知られている通り、柔道である。
柔道会に置いては、格闘議界以上に不正のエキスパートとして世界中に名を轟かせていた。
世界選手権の日本代表決定戦で「ヌルヌル」が疑われ、その切符を得た世界選手権では各国から大抗議が噴出。
柔道着を交換させられる国辱の前代未聞の出来事を巻き起こした。
それらの事を、スポーツバラエティー番組で「ヌルヌル」を実行した事を、恥ずかしげや罪悪感も無く吐露。
そういう前歴もあった、要注意人物だったのである。
それなのに、超優遇の待遇を獲得。
明らかな故意の反則も、問題にふされないで解決の政治力を手に入れていたのである。
それから舌の根も乾かないこの時期に、揚げ足取りのように反則に騙せそうな出来事を取り上げて、それを厚顔無恥にも問題視して提訴にかけるなど人道に反しているが、そこまで徹底できるのはお見事としか言う事は出来ない。
それも、この件でも主催者側が秋山に肩入れするようにさせたその実力は伊達ではない。
人の世は無常である。
自分以外、皆信じられないと考えた方が良いというシビアな人も多い。
そんな無常な世の中で、生き残っていくには秋山の処世術が一番肝心なのではないかと私はつとに確信するのである。
つまり、秋山に学ぶべきその処世術は、
「ヌルヌル」
である。
「捕まりそうで、捕まらない」
その処世術は、かの有名な政商・小佐野賢治(国際興業創始者)の言葉にも垣間見られた。
「塀の上を歩くような所まで仕事しないといけない。そうしないと、秀でる事は出来ないから。ただ、塀の中に入ってはいけない。その狭間で綱渡りのように行き来するのが成功の秘訣」
と。
シビアに生きていくには、「ヌルヌル」ほど重要な事はないだろう。
その為に、私達も秋山が塗ったというクリームを日々塗りましょう。
宣伝になりますが、そのクリームは「オーレイクレンチボディローションエキストラドライローション(http://item.rakuten.co.jp/soukai/75609012266/)」。
これを塗り続ければ、秋山のように自分の重罪を無かった事のように、他人の正当なる行いをも揚げ足に変えて問題視するような図太さを身に着けられるかもしれない。
私は、そういう素質が無いので丁重にお断りしますけれどね。
しかし、秋山の人生を一言で表わせる、
「ヌルヌル」
と名づけさせる為に行動し続けたような秋山の、
「ヌルヌル」
専心は、頭が下がる思いがします。
合掌。
- 2008/01/20(日) 22:36:06|
- 褒殺風刺地獄
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先日、ニュースで世田谷一家殺害事件 の特集を放送していた。
2000年の年も押し迫った12月30日に起こった、凄惨(せいさん)な事件。
遺留品や手がかりが多数ありながら、いまだ犯人は捕まっていない。
この事件に限らず、未解決な凶悪事件 は数多い。
一般社会で考えていただきたい。
普通の会社で、これだけ成果が挙げられなければどうなるだろう?
契約は解除されるだろうし、従業員なら解雇か、それを免(まぬが)れても窓際族が確実であるはずだ。
なぜ、そんなに成果を挙げていない警察が反比例して、日々権力が増長しこの世を謳歌(おうか)しているのだろうか。
それは、逮捕及び拘留(こうりゅう)などの暴力の独占をしている事。
それに対する、恐怖。
そして、権力を無批判に礼賛(らいさん)し迎合する従順な遺伝子が流れる日本人の悪い性質からであろう。
ただ、冷静に考えていただきたい。
警察は、私達の搾(しぼ)り取られた血税でのうのうと生かせてやっている下僕(げぼく)なのである。
それなのに、それにも増して私利私欲で権力と利権獲得だけに邁進(まいしん)している。
それにも増して、日々、不祥事を起こしている。
それでいて、仕事は全く出来ない。
こんな不逞(ふてい)すぎる輩(やから)を飼っている日本人とは、あまりにも惨め過ぎないか。
警察に対する幻影(げんえい9を抱くのは、もう辞めましょう。
警察は、犯罪組織です。
そして、警察は暴力団体です。
おまわりさんなどと子どもに呼ばせて警察官の偶像に騙されて、警察官の被害に合わせてはいけない。
「嘘つきは警察官の始まり」
「泥棒は警察の始まり」
そのものなのだから、多感な子どもに偽りの偽善の姿を植えつけてはいけない。
よく番組の改変期に、民放のテレビ局で競って警察礼賛番組特集 が放送される。
あれは、テレビ局と警察の癒着(ゆちゃく)そのもの。
演出、つまりやらせと思って正解だと思います。
あういう警察礼賛番組は、警察不祥事がいつもより多いと、何故だか増える傾向があります。
そうやって批判をかわす目的があるのです。
つまり、警察のプロパガンダ。
これで、癒着ではないとは嘘つきの警察やマスコミ人でも言い逃れは出来ないはず。
そこで演出される、正義に溢れて地道に庶民の為に頑張る清廉な警察官なんて嘘っぱち。
これを理解していなければ、自分の治安は守れない。
警察の存在意義は治安維持だが、実際の日本の警察は治安を破壊している張本人。
だから、私達大人が理解すると共に、弱い立場の子どもたちにも念入りに教え込みましょう。
日本の治安はそういうものなんですから。
それが出来てから、警察に無償で提供してその恩を仇で返すことしかしない無駄になってしまっている私達の血税についての糾弾がやっとで出来る。
残念ながら日本の警察はそんなものなんです。
警察官は、
「人を見たら、犯罪者だと思え」
と教育されると言う。
しかし私達弱い庶民は、
「警察官を見たら、犯罪者だと思え」
と徹底しましょう。
治安維持公安を職業とする者達が、犯罪にまみれた集団と言うのが、一番質(たち)が悪い。
つまり、
「良い人の振りをしてそれへの似非の信頼で暴力の独占をしながら、実は一番悪い人だった」
というようなもの。
だから皆さん、自分の為、そして周りの大切な人の為、日本の悪徳警察には細心の注意を払い人生を送りましょう。
*1
世田谷一家殺害事件*2
未解決な凶悪事件
- 2008/01/19(土) 22:03:21|
- 辻説法
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基本的なことです。
いつの時代も、
「今の若いものはなっとらん」
とか、
「昔は良かった」
とか、
「俺達(私達)の若い頃はもっとまともだった」
と言う大人が非常に多い。
人間は、自分が絶対だから、そう考えるのはしょうがない摂理だと思う。
また、どちらの考えが正解かは分からない。
ただ、冷静に史実やデータを分析してみると、全体的に悪くはなっていない。
しかし、悪くなっているとすれば、それは政治家や官僚そして財界の重鎮ら為政者の罪である。
今時の若者が、もし以前の若者より悪くなっていれば、それは受けてきた教育がいけないのである。
日本の教育は、今でも良い学校を出て安定した会社に勤める事。
その頂点は、官僚や財界の重鎮であり政治家でもある。
しかし、その官僚や財界の重鎮や政治家はどうだろう。
無批判に手本にする諸行をしてきただろうか?
それは、皆さんお分かりの通り、不祥事だらけ。
現代の日本人は、為政者の不祥事はどんな事ですら驚かないという麻痺の仕方である。
それも、日々、何かしらの為政者の不祥事が報道されるので、どんな極悪な犯罪を犯しても一ヶ月を経過すれば、庶民の記憶の彼方から消えていってしまう、為政者に優しすぎる社会。
こういう極悪な為政者を目指せと言う教育を日本全体でしていて、そのマインドコントロールを受け続けた若者が、清廉に育つ事があるだろうか?
私は、それは絶対無理だと思う。
反対に手本にしろと親や教師や社会から教えられ、そしてそういう為政者の不祥事のニュースに日々接して育った若者が悪い事をするのであれば、それは素直に実直にその教育に報いたと褒めてあるべきだ。
そうしないと、矛盾そのものである。
だから、若者の文句を言うべきではないし、言う資格はない。
若者に清廉を求めるのであれば、不祥事が仕事の為政者を目標にする教育を即刻止めて鼻つまみ者の犯罪者集団として蔑視する教育をする事。
それか、不祥事が仕事の為政者を糾弾して摘発し正す事。
この二つの方法しかない。
この原理を理解しないで、人生に対する郷愁を他者批判で発散するべきではないと私は強く思うのである。
- 2008/01/18(金) 18:48:37|
- 辻説法
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日本コカコーラの「からだ巡り茶」のCMで、主演する広末涼子が言う台詞、
「ブラジャーが透けるほど汗をかいた最後っていつだろう?」
というのが大抗議を受けて急遽変更したというニュースを聞き、今日始めて変更以来初めてのCMを見た。
台詞は、
「こんなに汗をかいた最後っていつだろう?」
と変わっていたが、正直何が問題か何が不快なのかは私には分からない。
まあ結局は、女性の僻(ひが)みであろう。
ただ、私はこの不条理すぎる事件を聞いて、
「日本の悪しき伝統とされてきた男尊女卑も、解消された」
と、嬉々としたものである。
はっきり言って、テレビの中はこのCM以上に不快なものは多く存在する。
テレビをつぶさに見ていると、よく見るタレントの顔ぶれは何種類かの法則になっているが、ほとんどが顔が引きつってしまうほどの気分の悪いタレントである。
それに、テレビ界の良識と自画自賛するNHKも民放と一緒でジャニーズ事務所には特別扱いというから、その度合いは増してしまう(NHKがジャニーズ事務所を特別扱い )。
つまり、世界から嘲笑されていた日本の男尊女卑も解消されて、完全なる女尊男卑になったのである。
これで、日本も胸が張れる。
ブラジャーという単語は言ってはいけないが、胸は張れる。
テレビでは女尊男卑の症状が顕著だが、現在の日本の中心は女性である。
購買力が高いんだから、それは当たり前だ。
男女同権は、完全に実行されて逆転しているところも多数あるくらいなのに、責任や義務はまだまだ男性が多くを負っている。
私は男性として、女性が男尊女卑に悩まされる事を非常に危惧していた。
しかし、その危惧が完全に消え去ったことを実感し、ほっと胸をなでおろしました。
もちろん胸をなでおろしても、ブラジャーという単語は禁句です。
それに、男尊女卑が生きていた時代は立場の弱い女性の声など男性に届くことは無かった。
しかし、今はほとんど問題の無い今回の広末涼子のCMみたいなものでも全盛期のエセ同和行為のように恫喝と糾弾を繰り返し、圧力団体並の恐怖を抱かせる強さを形成した。
ここまで、劇的に改善したのである。
日本の男性として、この事実は非常に嬉しい。
行き過ぎたフェミニストと批判が出るだろう。
しかし、男性はこれまでの長い歴史の中で女性を男尊女卑で苦しめてきた罰を現代に生きる私達が、ローンのように受けていると思えば気が楽になるのではないか。
それでいて、自分が女子として好意の眼で扱われるのは喜ぶのはなぜという批判もあるだろう。
しかし、これが女性の性だし、それを追及するのは男尊女卑と言われていしまうのだから、臭い物には蓋をしろで、蒸し返さない方が懸命である。
男性の皆さん、抑圧される存在を楽しみましょう。
それが、今の女尊男卑の現代日本を行き抜く唯一の方法なのだから。
だから、頭に入れて腫れ物に触らぬように頑張りましょう。
合掌。
- 2008/01/17(木) 22:53:15|
- 褒殺風刺地獄
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何度か、御訪問いただいている方は驚かれたと思うのですが、このブログのコンセプト及びタイトルを変えました。
アメブロでは「人生の教化書 一日一話」を、FC2では「褒殺風刺地獄(ほめごろしふうしじごく)」という二つのブログを運営していました。
しかし、以前運営していた楽天ブログの「与太随筆」のようにまとめて欲しいとの声を多数頂き、アメブロの方もFC2の方も「新与太随筆」というタイトルにし、内容も同一のブログを運営するスタイルに変更にしました。
その目玉企画が、<人生の教化書 一日一話>と<褒殺風刺地獄>の二つ。
そして、これも皆様の声からなのですが、「与太随筆」のように日記的なものも書いて欲しいという声を頂いたので、日記である<随筆>に、「与太随筆」時に中心に据えていた<辻説法>も加えていきたいと思っています。
ですので、これからもよろしくお願いします。
- 2008/01/15(火) 21:15:23|
- 随筆
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明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
年始と言う事で、それに相応しい話題を書かせていただきます。
年始と言うと、誰しもが思いを新たにこの一年を有意義なものにしようと少なからず意気込むものであると思います。
私も毎年、意気込みだけはそう思うわけです。
しかし、年末になるとその意気込みに反し消化不良の結果に終わりそうな事に対して自己嫌悪に陥る事が多い。
ただ、人生と言うのはそうそう満足感に浸れる時期と言うのはそれほどない。
常に、目に見える形で前進できる事は人生の中で少ないと言うのが現実なのである。
この割りきりがあれば、焦らず一歩一歩歩んでいける。
しかし、私もそうだが無性に焦ってしまい、かえってそれが停滞への原因になってしてしまう人も多いはずだ。
そういう方々に、年始に送りたい言葉が、
「人皆知有用之用而莫知無用之用也」
という中国の思想家・荘子の言葉である。
意味は、人みな有用の用を知りて、無用の用を知る無きなり。
つまり、一見無用だと思われるものの中に、有用なものがあると言う真理である。
人は、有用なものにだけ眼がいってしまう傾向が強い。
「10年一昔」
と言われた時代から現代は、
「5年一昔」
と言われるスピードアップした時代を迎えている。
だから即効性を求めるあまり、有用なものだけに眼がいってしまう。
しかし、荘子のこの教えは無用なものこそ意味があると言う事を教えているのである。
正月休みも終焉に近づいている方も多いだろう。
私ももう少しである。
そういう時は、こういう焦りが非常に出やすい。
特に、日本人は長期休暇にこういう焦りを抱きやすい人種と言われている。
西洋人は、バカンスという長期休暇を楽しむ習慣がある。
しかし、日本人のように焦燥感に苛まれる人は少ないと言う。
それには、西洋人にはこの老子の、
「無用の用」
の割り切った考えが身についているからであると思う。
休暇を、思いっきり楽しめないようでは仕事なども集中できない。
何もしない事に、焦りではなく価値を見出せるようになる事でこの真理を得る。
今後の構想を立てるのは良いとは思うが、長期休暇に焦燥感に苛まれるのは、休暇も楽しめず、休暇明けの仕事への活力も充満できない。
無い無い尽くしになってしまう。
だから、この老子の教えを胸に、まだ正月休みがある方は、残り少ない正月休みを思う存分楽しみましょう。
そして、人生においても一見無用と思える事への価値を見出して、焦らずやっていく事も心掛けましょう。
短期的な視野も必要ですが、長期的な視野も至極大事。
冷静に意気込んでこの一年を送りましょう。
(2008年1月2日)
- 2008/01/14(月) 13:13:57|
- 人生の教化書・一日一話
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紀元前六世紀頃にイソップによって作られたイソップ童話。
実は、その中には多くの教えがある。
童話というと何か、子どもの読むものという感覚があるが、イソップ童話には現代でも通じるイソップという先人の知恵がいっぱい詰まっている。
その中で、今回紹介したいのは「北風と太陽」。
まず、簡単にその物語を紹介しよう。
ある日、力自慢の北風と太陽が力比べをしようと話し合います
そこに,ある旅人が歩いていました。
北風は太陽に言いました。
「あの、旅人の厚いコートを脱がした方が勝ちにしよう」
と。
先攻は、北風。
旅人のコートを力づくで剥(は)ぎ取ろうと、渾身(こんしん)の力で北風を旅人に吹きかけます。
しかし、旅人はあまりの寒さにコートを被(かぶ)り、強い風に負けずコートが飛ばされないように手で押さえ始めました。
それに負けじと、北風は旅人に向けて吹きかけますが、旅人はコートを更に押さえるばかり。
力を使い果たした北風は疲れきり、諦めます。
次に、太陽が旅人に挑みました。
しかし、太陽は無理をしませんでした。
太陽は、旅人を暖かい日光でポカポカと照らします。
そうすると、強い北風ではあまりの寒さに頑(かたく)なにコートを着ていた旅人が、そのコートを自ら脱ぎ去って裸になり、近くの川に飛び込んだのです。
勝負は、無理矢理コートを脱がそうとした北風ではなく、コートを脱ぐように仕向けるようにした太陽に勝ちました。
というような物語です。
その教訓とは何か?
つまり、
人心は、強制では動かないし反対に拒否反応を起こすが、自ら動くように仕向ける事で自動的に心が動いて思い通りの行動へと導く事が出来るという教訓である。
ここ数日は、民主党の小沢一郎代表のプッツン辞意表明から、舌の根も乾かない内の辞意撤回の醜態が世間を騒がせている。
小沢代表は、自民党時代から田中角栄 元首相の秘蔵っ子として若い時から権勢を揮い、「壊し屋」として唯一無二の政治的腕っ節を持った政治家という幻想をも維持して神格化されてきた。
今回の事で、小沢自身の自滅で、脆(もろ)くも国民にもその幻想の化けの皮が剥がされた。
時間は戻せないが、もし誰かがプッツン辞意表明前の小沢の近くにこのイソップ童話の「北風と太陽」の話で諭してあげれる人がいれば、ここまで維持してきた化けの皮が剥がれる事はなかったと思ってしまう。
参院選で、自民党をぶっ壊しかけた。
その勢いがまだまだあり、年明け後に噂される総選挙での政権交代も夢ではない時であっただけに何と惜しい事をしたか。
それに、野中広務 元官房長官が国政にいない今。
屈指の政治的腕っ節を持った豪腕であるという幻想を維持したまま政治生命をまっとう出来たはずなのに、今回の醜態で化けの皮が剥がされ晩節を汚してしまった。
どこの世界の指導者や権力者もそうである。
力があるから、トップに立ったわけではない人も数多い。
幻想で、トップに立った人の何と多いことか。
それを維持しながらその世界でまっとうする。
その為には、「北風と太陽」の精神が必要である。
幻想でトップに立とうと、勢いでのし上がれただけで、小沢代表のように自滅で足を引っ張ってしまったトップも数多く存在した。
それを免れるためには、自ら勉強するしかない。
トップに立ってからの勉強でも、遅いということはない。
その謙虚さが、カリスマ性を増す事の出来るトップへの階段を駆け上がれる事ができる切符である。
もちろん、これからトップを目指す人には反面教師として、そして訓戒として覚えていただきたい。
強制によって人は動く時もある。
しかし、人はそういう窮屈さで動いたとしても心は動いていないものである。
それに、強制によって動いた心には自主性が育たない。
その為に、その人自身も本当の実力はつかないし、集団としても自主性の無い人任せの集団になってしまう。
それは、真の実力を築く事は出来ない。
また、強制による人心掌握は、動くように仕向ける方法より、時間は総体的に短い。
しかし、効果は自ら動くように仕向ける方法の方がある。
だが、時間がかかる。
その為には、待つ事を覚えるしかないのである。
信頼して信用して、待ち続ける。
人は信用や信頼に応えようとする習性があります。
一度、信用や信頼に応えて、その関係が築かれるとそれは強制による関係よりも、それは強固になります。
これは、古くて新しい教え。
肝に銘じて、その先人の教えを甘受いたしましょう。
(2007年11月9日)
- 2008/01/14(月) 13:12:15|
- 人生の教化書・一日一話
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今回も連続で女傑伝を書かせていただきます。
今回特集する女性は、福岡では伝説的な高場乱(たかばおさむ)という、江戸時代末期(1831<天保2>年)から明治時代初期(1891<明治24>年)に生きた偉人。
女性なのに、「たかば・おさむ」という男性のような名前なので、それだけを見ると男と勘違いされるが、実は高場は男装をする女性であった。
しかし勇ましさは名前だけでなく、高場の人生そのものが男勝りの物であった。
高場は、江戸時代初期から続く、福岡藩藩医の家系の末娘。
自ずと高場は、医者を目指すようになる。
高場は、幼少時代から英才で有名であった。
父親は、男の子どもがいないので、そんな高場に江戸時代初期から続く由緒正しい高場流眼科を継がせる気であった。
その為、高場に男性の名前をつけ、嗜(たし)なみであった漢学を学ばせた。
10歳で、福岡藩から正式に元服を男性として受理される。
15歳で、帯刀。
16歳では、男性と正式に婚姻。
そして、20歳の時に儒学を究めるために高場の飛躍のきっかけとなる亀井塾に入門。
亀井塾は、儒学を中心に垣根がなくあらゆる学問が学べた自由な気風を持ち味とする、多くの人材を輩出した私塾。
そこで、学問だけではなく武芸も極めた高場は、四天王に数えられるまでにのし上がった。
実は、高場は生まれながらの虚弱体質。
その影も見せず、武芸すら極めた覇気は凄まじいものがあったのだろう。
そして、それを元に高場自身が25歳の時に自宅に私塾を立ち上げた。
その名称は、興志塾(こうしじゅく)。
または、医療用の朝鮮人参畑の中に開いたので人参畑塾とも言われ親しまれていた。
そこで、儒学等を講じた。
現在でも、男女同権が叫ばれているが、当時の日本は正に男尊女卑そのものの時代。
それも、九州男児と言われる位、男性の力が強い気風をいまだに持つ土地柄。
そこで、男装の女性である高場はその頭脳に胆力で、瞬く間に数多くの綺羅星の如き指導者を輩出した。
特に、自由民権運動に大陸浪人と呼ばれた人材の中心人物を輩出した事は特出すべきであろう。
自由民権運動の象徴、大陸浪人の親分、右翼の祖、政財界の黒幕として明治時代から第二次世界大戦前までの伝説的な人物に頭山満(とうやまみつる)という大人物がいる。
実は、この頭山も高場の教え子であった。
20歳前の青年頭山は、高場の興志塾に入門を志願しに行った。
その頭山の入塾志願への異様な程の熱情は、40歳過ぎで福岡藩で名を成していた高場を怖気づかせる迫力があった。
それが、二人の恋心にも似たものにもつながった。
高場は、20歳前の青年頭山に底知れぬ大きさと可能性を感じ取った。
頭山は頭山で、高場に崇高なものを感じた。
世界的名声を獲得する事になる頭山の基礎を築いたのは、正に高場の興志塾。
その歴史的存在意義の大きさを、実感できるだろう。
そこで、青年達に、
「君子の生き方」
を講義及び生き方で教授した。
それも、寝起きを共にして食事も出しながら、寮費はなし。
本業の眼科医の稼ぎだけで、賄(まかな)っていたのである。
虚弱体質で、それも非力な女性。
なれど、腕白な札付きの青年達を圧倒する気概で、「君子の生き方」を説く高場は妖気すら漂うほどで皆が魅了され、興志塾の出身者は頭山を中心に世界中に名を轟かせる運動家になっていった。
そして46歳の時に、弟子が起こした事件の共謀を疑われ逮捕。
しかし、高場は堂々としたものであった。
苛烈な取調べに、知らぬ存ぜぬを通し、命を投げ出す覚悟を曝(さら)け出し、警察を圧倒したのである。
程なく、高場は放免された。
高場の弟子は、事件を起こすと黙って高場に挨拶をしに赴(おもむ)いた。
高場は、その詳細は分からなくても、事情は察知していた。
しかし、君子たる覚悟で実行した事には何も口出しはしなかった。
弟子が、これからどんな運命が待っているかは分からない。
平穏無事に、乗り切れる可能性は低い。
しかし、退路を断ち、自分の身を投げ打ってまで、覚悟を決めて行動する事を君子たるものの行動として教えてきた。
だから、それを知りつつ、心の中で健闘を祈り、高場は弟子を送り出した。
そして高場の晩年、1889<明治22>年。
高場の弟子・来島恒喜が、条約改正に反対し、その推進者である当時の外相・大隈重信襲撃事件を起こし、大隈の右足を吹っ飛ばした。
来島は、それを見届けると、その場で首を切り自害。
その見事さに、指物、被害者の大隈もその来島を「勇者」と讃えて賞賛。
高場の影響力の凄まじさを、改めて証明した出来事であった。
しかし、それは高場には嬉しくもあるが、前途有望な弟子の死を悲しむ気持ちが強かった。
追う様に、その二年後の1891<明治24>年に、59歳で亡くなった。
福岡に留まり、青年のリーダー教育に精魂込めて従事してきた高場は、地域限定での教育ながら世界的な影響を与えた数多くの弟子を育て上げた。
そのため、葬儀には高場の死を悼む500人近くの人が集結したという。
高場は体が丈夫であれば、京に上って統幕の志士として活躍したいという野望を持っていた。
しかし、それでは足手まといになるのは目に見えている。
だから、倒幕及び日本の行く末の舵取りを出来る青年への教育に地元・福岡で人生の心血を注いだ。
そのため、全国的な知名度は低い。
なれど、同時代に生き、日本の舵取りをする青年教育に実績を残した吉田松陰を高場は超越する影響力を誇ったと評価する人物もいる位の実績を残したのである。
男尊女卑が色濃く残る時代背景。
それも、最も男性の権威が重要視される九州という土地柄。
その中で、性別に関係なく評価して傾倒した高場の門弟達の進取の心意気も素晴らしいと思う。
しかし、その血気盛んな青年志士連中に人柄と生き様から敬愛された高場は、今の時代から考えると想像を絶する物がある。
この高場から現代の私達が学ぶところは、
1、武士道は男性の物。天下国家を論じるのは男性。そんな常識に負けず、そんな偏見に負けないで貫き通す胆力。
2、生まれながらに不利な立場にありながら、それを超越し逆にそれ以上の高みへ到達し敬服させる程の精進及び鍛錬の継続。
3、対価を求めない無慈悲の心。それが、いずれは人心掌握力へとつながる。
の三つだと思います。
高場の生きた時代と、現代は違う。
しかし、高場の生き様は現代においても学ぶべき点は非常に多い。
それに、現代に比べても高場の生きた時代の女性は虐(しいた)げられ活躍の場が少ない時代。
つまり、現代の女性のように自由を謳歌できる時代ではなかった。
そんな極僅(ごくわず)かな可能性の中で、世界でも勇名を馳せた志士を輩出させた教育者になったのは特出すべき事である。
それも、そういう荒くれ者の志士の集団の教育者など男性でしか出来ないというのが常識である。
しかし、それを学問だけでなく生き様及び武芸においても教え諭した高場は、傑出している。
この高場の人生には、女性に限らず男性も学ばなければいけない。
私は、高場が教育した頭山満を中心にする玄洋社の歴史に非常に関心がある。
その根本精神を築いたのが、この高場。
「有名無力」
な人は、特にメディアが発達した現代では多い。
しかし、
「無名有力」
を地で行って真実の力を築いた高場乱の人生は、私の心も非常に揺さぶる。
爪の垢を煎じて、後の私の人生の参考にしたいと思う。
(2007年10月28日)
- 2008/01/14(月) 13:09:55|
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世界でも稀な革命と言われる明治維新。
各国の反体制組織がこの明治維新を教科書に、革命を行ない成功した組織もあれば失敗した組織もある。
時代は経ても教科書とされる、燦然(さんぜん)と輝く革命である明治維新の最大の功労者として名が挙がる維新の三傑(木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通)及び坂本竜馬の中で、筆頭にランクインするのは西郷隆盛を挙げるという人も非常に多いと思う。
その西郷の正妻・西郷いとを、女傑伝の第一弾として今回は取り上げます。
いとの人生及び生き様は、現代の女性にも相通じるものが必ずある。
それに、参考にして欲しい。
現代の女性にいとのような生き方のような格好良さを、理解して欲しい。
いとは、西郷に嫁ぎ、遮二無二働いた。
西郷家は、大家族であった。
それも、西郷家は大家族なのに極貧であった。
西郷実父の多額の借金。
そして、金に無頓着で正道のためにだけ邁進する旦那である西郷の生き様から、改善の見込みも無い借家生活。
しかし、いとは何も文句は言わなかった。
大家族で極貧。
そんな家族を抱えている主人であれば、その大家族を食べさせるために一路邁進せざるおえないというのが常識である。
しかし、いとは旦那である西郷の類稀(たぐいまれ)なる可能性を信じていた。
それを、我が家族ではなく国民のために活かして欲しい。
家族を守れる男は数多く存在するが、国民を守れる男は極稀(ごくまれ)。
自らの伊達ではない苦しさに窮状(きゅうじょう)を訴えるのではなく、目線は国民の平和に向いていたのである。
これ自体が、いとの大きさを表している。
女性だけが持つ、母性本能そのものであろう。
「自分よりも、周りを守る」
自己犠牲の包み込むような本能を母性本能と位置づけるが、いとにはこれが顕著であった。
だから、西郷は不遇の家庭を顧みずに、正道に邁進する事が出来、世界が手本にする明治維新を成し遂げる中心人物となった。
それにも増して、いとにはこんなエピソードもある。
西郷は、
「英雄色好む」
の格言通り、ご多分に漏れず女性にもモテて、女性が好きであった。
西郷が、幕府の追及から逃避させるために、奄美大島に流刑された。
薩摩藩内の奄美大島に流刑された西郷は、罪人として不遇の生活を送る事になる。
そこで、島の女性に恋をした。
その女性は、愛加那という女性であった。
いとと結婚していた西郷にしてみれば、愛加那は妾(めかけ)であった。
つまり、妾とは端的に言えば愛人である。
三年の島暮らしで、西郷と愛加那の間には二人の子どもが生まれていた。
西郷にとって、この島暮らしは大いに役立った。
盲目になりがちな自分の人生、自分の目指すべき方向を外から眺めて、冷静にこれからの行き先を考えられた。
それに、潤いを与えてくれたのは愛加那との愛だった。
しかし、普通なら正妻のいとからすると許すべき事ではないというのが普通であろう。
だが、いとはここでも女傑っぷりを大いに発揮した。
西郷家に引き取ったいとは、貧困にまた拍車をかけ、憎っくき妾の子どもであるはずの二人を我が子と分け隔てなく育てた。
当時は、島の人は内地へ足を踏み入れられなかった。
しかし、愛加那は我が子に、内地の高等教育を受けさせたかった。
それを、いとは甘受した。
そして、一人は京都市第二代市長・西郷菊次郎。
もう一人は、大山巌元帥の実弟・大山誠之助の妻・大山菊子。
二人を、愛加那の願いどおりに立派に育て上げた。
西郷亡き後は、賊軍の将の親族として、少なからず肩身の狭い思いをした。
しかしそれにもめげず、いとは養蚕で大家族を育て上げた。
そして、1922(大正11)年、79歳の生涯を閉じた。
こんないとの人生は、表面上から見ると、男尊女卑の典型に見えるかもしれない。
しかし、いとにとっては自身の人生は解放されていたのであろうと思う。
つまり、苦難を切り開き、無償の愛情を注ぐ事が、いとの母性本能に訴えかける幸せだったという事になろう。
男性もそうであるが、自由奔放の全てが全て、幸せにはつながらない。
いとは男尊女卑の典型である、黒子に徹せられていたわけではない。
自らが、先頭になって西郷家を守ったのである。
それだけ、旦那である西郷に惚れ、その才能にも惚れていたのである。
つまり、役割を遂行させられているのではなく、自らが進んで行なっている事、いとは幸せを感じていた。
だから、行為的には同一であっても、その人の気持ちで、男尊女卑でも自由にでも大きく変わるが、いとの人生は自分の意思であった。
このいとから、何を学ぶべきか?
それは女性だけではなく男性も学べるものがある。
それは、
1、苦境・逆境・誹謗中傷にめげず、一意専心(いちいせんしん)に物事に集中する事により、大きな事を成し遂げた生き様。
2、愛する人を無償の愛で信じ抜く事で、自分の幸せも獲得した生き様。
3、度量の大きさを演じきる事で、集団の幸せを手に入れ、そして自分への信頼も自動的に獲得する生き様。(偉人とはいえ、その辛酸は想像を計り知れない。その想像を超える苦境は苦しかったはず。しかし、揺らがないように踏みとどまったのであろうから)
西郷いとの生き様には、コーチング論にも通じる奥深きものがある。
人間は、全て女性から生まれてくるもの。
つまり、何に関しても原点は女性が握っているのではないのか。
苦境へのヒントも、女性にあるのかも知れない。
枠を超えるヒントが隠されているであろう女傑伝は、文章の母性本能。
是非参考にしてください。
(2007年10月17日)
- 2008/01/14(月) 13:07:43|
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知行合一(ちこうごういつ)
知行合一とは、陽明学という中国の儒学者・王陽明(1472−1528)が起こした儒学の主要命題である。
意味を簡潔に言うと、
「思ったら、行動する。」
という、実践主義の思想である。
その為、日本にも数多くの信奉者がいるのが陽明学である。
世界でも稀に見る革命であった明治維新を成し遂げた志士の精神的指導者達に、陽明学に造詣が深い人が多いのがその実践主義を裏付けている証拠だろう。
有名どころでは、中江藤樹、熊沢蕃山、佐久間象山、川井継之助、吉田松陰、高杉晋作、大塩平八郎、西郷隆盛等など。
徳川幕府が、推奨していた朱子学は、権力側に都合の良い儒学であった。
「上が上でも、下は文句を言わず付き従わなくてはいけない」
という上下の秩序を重んじる思想が、朱子学であった。
しかし、陽明学は、
「上が上なら、下も下になるのはしょうがない。組織やグループの命運は上が握っている」
という、反体制的な思考を基礎とする儒学であった。
自ずと、体制側には都合が悪い。
長い戦国時代が終わり、江戸幕府を開いた徳川家康は、思想統制に苦心していた。
戦争のない社会を作る。
つまり、徳川の社会を未来永劫続けたい。
しかしいまだ、上下の秩序を問題とせず下克上の気風が色濃く残っていた、江戸開府当時。
それを、都合良く抑えるのには、武士に武芸への傾倒を捨てさせ、武芸学問奨励へと向かわせるのが良いと考えた。
その都合の良い学問が、朱子学であった。
上下の名分を重んじる上下関係を根本にする朱子学は、思想言論統制にピッタリであった。
家康の相談役であった朱子学の大家・林羅山が、幕府公認の正学として朱子学奨励の任が与えられた。
それと共に、他の学問が迫害された。
特に、
「上下関係よりも、正しさが重要視される」
上には都合の悪い陽明学は危険視され、後に風紀を乱すものとして禁止される事になる。
しかし、幕末になると長年続いた徳川の太平の世が動転するようになってきた。
ペリー率いる黒船来航からの開国騒動をきっかけに、公然と現体制であった徳川幕府に反発する勢力が台頭してきた。
そして、討幕運動につながる精神的な支柱となったのが陽明学であったといっても過言はないだろう。
現に、明治維新を成し遂げた志士を扇動したのは、陽明学に多大なる影響を受けた教育者達である。
人間は、保守的な側面が必ずある。
それは、命が限られているのを知っているから。
命が限られていれば、失敗は大きな痛手となる。
その度合いが大きければ大きいほど、その痛手は大きくなる。
だから、保守的にならざるを得ないのは、必然なのである。
そのため、思っても行動に移せない。
そして、いつのまにかその思いは、自分の中で消化して忘却(ぼうきゃく)するという自分自身の過程を作ってしまうのが常となる。
しかし、思っても動かなければ何の意味もない。
思って動かなければ、思う事自体が無意味となる。
失敗は怖いし恥ずかしい。
しかし、思いを無理矢理忘却する事は、人生における賢い選択ではあると思う。
それは、人間とは一人では生きていけない動物だから。
だが、夢やチャンスは掴み取る勇気のない人には、手に入れられないものである。
その過程には、苦難や困難、そして失敗や不遇も付きまとうだろう。
その闇が、抜けるという確証はない。
ただ、行動しなければチャンスを掴み取れない。
それが、資本主義における真の自由でもある。
そういう行動の大切さを、教授してくれるのがこの「知行合一」。
年を重ねると、どうしても行動に対する勇気が減退してくる。
言い訳になるが、私もそれは痛いほど実感する。
しかし、その行動力の減退具合に対し、自分自身にいつも嫌悪感を抱いてしまう。
年を重ねると共に、責任が増えてくる。
それを言い訳に、行動力減退の理由とし、自分自身の勇気の無さを隠してしまう。
ただ、責任が増えても行動する人はするのである。
環境が、行動できない原因にしている時点で、勇気が無い証(あかし)なのである。
古の偉人が、必ずしも環境が整っていたかと言うと、そうでもない。
と言うより、環境が整っていない人に偉人が多いのは何を表しているのだろうか。
古の偉人は、環境が整っていない中で、その出来る範囲で行動していたのである。
だから、時代が生んだ偉人などはいない。
どの時代に存在していても、偉人は少なからず行動して何かを成し遂げていたはずである。
その事実を勇気に変えなければいけない。
人間は、食べるためだけに生きているのではない。
痩せても枯れても、自分を安売りしてはいけない。
そういう行動の大切を教えてくれるのが、「知行合一」である。
あらゆる理由をつけて行動しない自分を正当化する私も、自戒の意味を込めて心にもう一度刻み込もうと思います。
(2007年10月6日)
- 2008/01/14(月) 13:05:36|
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イギリスに半植民地化され、日本にも戦争(日清戦争)で破れ、ロシア、ドイツ、フランスにと食い物にされていた20世紀当初の清。
その清こと現在の中国から列強を排し、独立国家として自立できるようにしようとしようとする活動をしていた「中国革命の父」孫文(1866→1925。享年58歳)を支援し、辛亥革命を成功させた勢力の中に多くの日本人がいた。
その者等を、大陸浪人と呼んだ。
生命の危険を顧みず、隣国・清の独立に人生を掛けた日本人の大陸浪人の中で無名ながら、その頭領となった孫文に一番信頼され、全てを捧げて革命の原動力となった男に宮崎 滔天(みやざき とうてん)という浪人がいた。
宮崎は、1871(明治3)年熊本に生まれる。
明治維新を成功させ、やっとで自由を謳歌できるという気風で盛り上がりながら、威信を成功させた薩長閥偏重の不平等政治が中心となり、それに反旗を翻す自由民権運動が高まる中で成長した宮崎。
その気風に影響され、宮崎15歳の時に自由民権運動の闘士でジャーナリストの徳富蘇峰の大江義塾に入門する。
その後、早稲田大学に進学。
実兄の影響もあり、キリスト教に帰依しながら、欧米列強に蹂躙8じゅうりん)されるアジアの仲間達を屈辱から救おうという義侠心に掻(か)き立てられ、実家の財産を家族を騙してまで処分し、それを活動資金に運動に入り込んだ。
その過程で、1897(明治30)年、孫文と出会った。
武装蜂起に失敗し、日本に亡命していた最中の横浜で出会った。
革命家として名を轟かせていた孫文だが、実際に会ってみると小柄でいかにも折り目正しい紳士のような風貌。
大柄な宮崎は拍子抜けしたが、話を聞くうちにその印象はがらっと豹変した。
その舌鋒鋭い弁舌に、革命への熱情は、圧倒されたのである。
孫文に私淑した宮崎は、これ以降、生涯を掛けて孫文を徹底支援する事となる。
金銭の提供はもちろん、命の危険を顧みず生家を含め、匿(かくま)った。
宮崎は、結婚もしていた。
子どももいた。
家に金は一銭も入れない。
そして、ほとんど帰ってこない。
それも、帰ってきても金の無心が関の山。
更に、国家から命を狙われる宮崎が家に帰ってくる事は、妻や子どもを危険に晒(さら)すことに直接的につながる。
そんな無償の徹底支援の姿を見て、孫文は胸が詰まった。
宮崎の家の困窮振りは際立っていた。
その日の暮らしも、ままならない状況なのに、孫文を諸手を挙げて歓迎し、高待遇。
孫文の宮崎に対する信頼度は、高まるのに時間は掛からなかった。
1900(明治33)年、孫文は再び挙兵を企てるが、またも失敗に終わった。
宮崎が支援を依頼した日本人の大陸浪人の非業の死の責任に、利害関係の軋轢(あつれき)の複雑化。
宮崎は、失望と共に責任を感じ、孫文革命の支援から身を引いた。
しかし、それは形だけであった。
宮崎は、急に浪曲師に弟子入りする。
桃中軒牛右衛門(とうちゅうけん うしえもん)と名乗り、全国を巡業した。
当時の浪曲師は、多額のギャラが入る職であった。
それも、宮崎は生来、音楽好き。
朴訥(ぼくとつ)さを湛えた言い知れぬ迫力を持つ巨漢の宮崎の浪花節は、中々味のあるものだったと言う。
しかし、これは孫文の革命の資金獲得のためであった。
転んでも、ただでは起きない。
義を貫き通す、その一本気すぎる誠信さは妖気すら漂う迫力を発していた。
しかし、ここでも人の良さは際立ち、利用されたが何も気にはしなかった。
そして資金を溜めると、再び孫文の革命支援の舞台に舞い戻った。
悲願が迫っていた。
そして、ついに1911(明治44)年、悲願であった革命が成功した。
俗に言う「辛亥革命」である。
日本の明治維新をモデルに、ついに中国革命は成功したのである。
しかし、その後、孫文は同志である袁世凱(えんせいがい)に国家元首の地位を禅譲するが、これが失敗であった。
袁世凱は、野心家である。
すぐに、絶対権力を築き、自らが絶対君主となり、孫文が生命を掛け日本人の大陸浪人たちに助けられて成し遂げた革命前に逆戻りしてしまった。
そこで、袁世凱は宮崎に甘い言葉をかけてきた。
袁世凱打倒に立ち上がった孫文の勢力で一番怖い宮崎を、自勢力に取り込もうとしたのである。
中国米輸出権という多額の利権の独り占めという人参をぶら下げて、袁世凱は宮崎を懐柔しようとした。
しかし、極貧と死を恐れず、それを貫いて家族に強いた宮崎は、多額の利権で動じる男ではなかった。
変わらず、孫文を支援し続けたのである。
一人二人と、孫文の下を離れていく中で、宮崎は友情を真摯に貫いたのである。
そして、辛亥革命から11年のついに1922(大正11)年、宮崎は52歳の激動の生涯を閉じた。
その現実に接した孫文は、
「トウテンメイケイ(盟兄)ノシヲカナシム ソンイツセン」
と電報で悲しみを表した。
それに続くように、三年後の1925(大正14)年、朋友の孫文も58歳で死去。
「革命尚未成功 同志仍須努力(革命未だ成功に至らず)」
の遺言を残して。
宮崎は、大中国の自由を獲得する革命の下地を作った偉人である。
しかし、全く富や名声を手にしなかった。
「ボロ滔天」
これが、宮崎の俗称であった。
大きな事を成し遂げても、着物はいつもボロボロ。
金も持っていない。
家族は、清貧を貫いた。
頼まれたら断らない。
自分がどんなに、不利な状況になろうとも。
どんなに成功しようと、どんなに窮状に陥ろうと、見返りを求めず私利私欲に全く溺れない。
自らの命を逸する事を全く怖がらず、貧困も恥じず恐れず、金の魔力にも全く動じない。
それを根底にした行動力は際立っていた。
正に、
「無名有力」
の、本物が宮崎滔天であった。
この宮崎の生き様から学ぶのは、まず、
何事にも動じず、自分の信念を貫き通す意志力。
そして、
無償の友情を貫き通す事で、勝ち得る本物の信頼。
最後
に、
金も命も要らないという、手がつけられないと思わせて白旗を揚げさせ人間力の差を見せ付ける圧倒的な迫力。
この三つが、宮崎滔天から学ぶべき本物の所以でしょう。
明治から大正にかけて、このような本物の日本人がいた事を知ると、非常に誇らしい。
それに、この男義溢れた人生を見ると、憧憬の一念を禁じ得ない。
無名の偉人であるが、それだからこそその本物具合は偉大である。
宮崎滔天からは、多くのメッセージを頂く事が出来る偉大な人生であったと私は評価する。
(2007年9月29日)
- 2008/01/14(月) 13:03:39|
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本日は、アメリカの社会運動家ラルフ・ネーダーについて紹介したいと思います。
ラルフ・ネーダーは、1934(昭和9)年、レバノン移民の子としてアメリカに生まれた。
アメリカでも指折りの名門大学プリンストン大学を卒業すると、ロースクールに入学し卒業後に弁護士資格を取得。
その後、弁護士や大学教授を務めたが、思う事があり、ヒッチハイクで首都・ワシントンDCに行き、上院議員のアシスタントをしながら、ロビイストとして活動していく。
ロビイストとは、日本で言う根回しみたいなロビー活動を行なう黒幕のような人の事を言う。
しかし、功罪が常に問われるロビー活動であるが、ネーダーのロビー活動は反権力反権威に貫かれていた。
この活動が、後のネーダーの名声へとつながった。
そして、ネーダーの名を一躍世間に轟かせたのが世界最強最大の自動車会社GM(ジェネラル・モーターズ)への告発であった。
GMは、アメリカの強さの象徴。
時に1965年、ネーダー31歳の時である。
そのGMの人気車であるシボレーの欠陥を告発。
数多くの犠牲者を出すほど横転しやすいのに、それを公表せず、改善しようともしないというタブーを突いたのである。
しかし、ここでGMは驚くべき戦法に出てきた。
ネーダー陥れるために、探偵を雇い24時間監視を敢行して粗捜しをしたのである。
その監視は手荒く、命の危険も疑われる中、その凶行を逆に暴露されて訴えられ、当時の社長が上院に呼ばれて証言させられ、そしてネーダーにプライバシー侵害で訴えられ多額の慰謝料を払わされると共に、謝罪させられ、問題のシボレーの販売中止に追い込まれた。
そして、この多額の賠償金を後の活動資金にし、賠償金を活動資金にする活動形態が出来上がった。
一躍、ネーダーは社会運動の象徴的な存在となった。
世界最強のアメリカの強さの象徴GMと戦い、たった一人で勝ったのである。
それ以降、ネーダーは大企業の監視活動はもちろん、人道問題、環境問題、消費者の権利問題、民主化問題、政治と金の問題などの反権力半権威主義の運動に怯まず臆さず戦い続けた。
この雄姿に、若者が多数共鳴し、「ネーダー攻撃隊」を結成。
ネーダーの援護射撃をすると共に、権力の不正濫用を監視し徹底的に攻撃していった。
「ボウリングフォーコロンバイン」や「華氏911」などの話題となった反権力映画を作った事で知られるマイケル・ムーアは、このネーダーに感化された一人である。
そして、ネーダーは大統領選挙にも二度打って出た。
もちろん、二度とも完敗。
2000年と2004年の二度出馬したが、どちらも現大統領ジョージ・W・ブッシュに完敗した。
しかし、特に初出馬となった2000年の大統領選は大健闘した。
ネーダーに感化されたムーアが援護射撃した選挙で、反権力の闘士二人が関わるとの事で、庶民の支援は非常に拡大した。
しかし、だからこそ批判があった。
それは、第三候補のネーダーが出馬し、予想以上に票を獲得したために、最悪の結果であるブッシュが当選し、アル・ゴアを落選させてしまったから。
確かに、そういう見方もある。
だから、出馬自体を促す動きもかなりあったという。
しかし、私はネーダーの行動は正しかったと思う。
結果的に、ネーダーの出馬による予想外の躍進により、最悪の結果であるブッシュ当選という結果となった。
だが、出馬辞退をしてゴアが当選をしてもブッシュほどではないにしろ、国民に向いた政治をするとは思えないから。
それに、もともと勝てるとは思っていなかっただろう。
しかし、弱いものは負けると分かっていても戦わなければいけない時がある。
そして、弱いものが強いものに勝つにはしつこさという狂気で、恐怖を与えるのが一番。
そのためにも、倒されても倒されても挫けず、戦いを挑み続ける狂気を見せつける事が必要だったのである。
それを、二回の選挙では見せつけられた。
このネーダーの人生から学ぶべきリーダーシップは、
強い相手でも怯まず戦う反骨心。
そして、
「弱気を助け強気を挫く」義侠心を自ら先頭になって戦い、その背中についていきたいと思わせる人心掌握術。
さらに、
勇猛果敢でも、負け続けてはリーダーとしては求心力がなくなる。それを、負けても負けても戦い続けて強者が一番恐れる弱者像であるしつこい狂気を演出し、強者のやる気を削ぎ、勝利を呼び込む粘り強さを持つ。
この三点ではないだろうか。
それと共に、ネーダーにはリーダーシップ論の他に、自己啓発のエッセンスも含まれている。
それは、
自分自身は弱く小さな存在でも、策を練りしつこく戦いを挑む事で強者を打倒できる可能性があるという事。
人生において、最初から強者という事はほとんどありえない。
最初は、ほとんどが弱者からのスタート。
そして、世間の常識などから外れた事に挑戦する時は、可能性も薄いわけだし世間体も悪い。
だから、立場は弱者。
そういう場面の方にも参考になるのが、ネーダーの戦いの歴史にある。
ネーダーの人生には、いろんなメッセージと人生の手がかりが含まれていると私は思う。
最後に、ネーダーの頑固なほどの清廉さを現すエピソードをwikipediaから参照させていただき終わりにしたいと思う。
エピソード
倹約家でしかも反商業主義者であるネーダーは、除隊後にただ一度だけ訪れた陸軍 の売店で12足もの靴 と4ダースもの軍用ソックス を買い、40年近く使い続けていたという。
皆さんどうでしょう?
大統領には、残念ながら当選できなかったが、日本の政治家にこんな頑固なほどに清廉な人はいるだろうか。
いるわけはありません。
だから、ネーダーのエピソードや人生を見ていると、日本の政治家にはネーダーの爪の垢を煎じて飲んでいただきたいと強く思う今日この頃であります。
(2007年9月20日)
- 2008/01/14(月) 13:01:01|
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現在、フランスにおいてラグビーのワールドカップが行なわれている。
もちろん、日本代表(世界ランキング18位)も出場しているがオーストラリア(世界ランキング2位)とフィジー(世界ランキング12位)に連敗し、目標としていた決勝トーナメント進出はほぼ絶望視されている状況。
その日本ラグビー界で、日本代表には残念ながら縁が無かったが、同等の実力があると評価されていた佐藤友重(36歳。現役当時180cm,105kg)というラガーマンがいた。
佐藤のポジションは、プロップ(PR)。
スクラムの最前列で、少しでも相手を圧倒して自チームの形勢を有利にさせようとする為にプレッシャーをかけ続けるポジションで、1500kg以上の重量を体に受けつつ、それに負けずに押し続けなければいけない非常にきついポジション。
その為、チームで最重量の選手で、一番パワーのある選手がなることが多い。
しかし、その攻防はラグビーの試合の中で一番地味で目立たないので、縁の下の力持ちと言われる専門的ポジション。
このポジションのプロップは、支柱とか突っかい棒という意味で、佐藤の専門としたタイトヘッドプロップ(背番号3番。右プロップとも言う)はもう一方のプロップであるルーズヘッドプロップ(背番号1番。左プロップとも言う)以上に相手のプレッシャーと受けるポジションなので、それを平気で耐えて反対にプレッシャーを掛けれるタイトヘッドプロップがいる事がチームの戦略上で非常に重要。
この佐藤は、そのスクラムでの信頼性が非常に強いタイトヘッドプロップであった。
「結婚するなら、プロップ」
と言われるくらい我慢強さが売り物のプロップ勢は、その技術の奥義が深く、一過言持った人が多く、ラグビー選手の中でも一番選手寿命が長い、俗に言う職人気質の選手が大成すると言われている。
佐藤は、名門・秋田工業高校でラグビー選手として名を挙げ始めた。
秋田工業高校は、俗に言う花園(全国高等学校ラグビー選手権大会)での優勝回数が断突に多い15回を誇る。
スクラムの強さは特に定評のある秋田工業高校で鍛えられた佐藤は、早稲田大学に進学。
早稲田大学は、ラグビーの名門として知られるが、スクラムにおいては必ずしも強いとは言い難い弱点があった。
それは、大型選手が揃った明治大学などに比べると体格に劣るため、どうしても劣勢にならざるを得なかったからである。
しかし、そのトラウマを跳ね返してくれた原動力となったのが、この佐藤の入学であった。
一年生からレギュラー。
例年は押されるのが常なのに、耐えるばかりかタッグを組むルーズヘッドプロップの強さもあり反対に押す事もあった。
それも、今では想像もつかないが、早稲田大学が泥沼の低迷期に入る初期の時期であった。
当時の早稲田ファンのプライドを堅持出来得る、数少ない光明であったのが佐藤のスクラム。
その実力を今度は社会人で発揮するべく、関西社会人リーグの名門・ワールドに入社。
そこでも如何なく実力を発揮。
レギュラーとして、一線で活躍した。
結婚もして、子どもも二人生まれた。
ラグビーも私生活も、順風満帆な生活を謳歌していた。
しかし、そんな時に災難は訪れるのである。
佐藤29歳の時に、同期の奥さん・典子さんを癌で亡くした。
勉強熱心な典子さんは、オックスフォード大への留学が決定し、前途洋洋な時に癌が発覚。
程なく、娘二人を残し、天に召された。
その年は、現役を続けたが娘の事を思うと現役を続ける事に嫌悪感を抱くようになっていた。
二人の娘にとって、母親の大きさは身にしみていたからである。
遠征がちの佐藤では、二人娘を妻に報いるまで育て上げるのは無理。
ラグビーに対する情熱は消えてないし、致命的な怪我も無い。
選手寿命の長いプロップにおいては、29歳ではまだまだ続けられる年齢。
しかし、決断した。
娘を、妻に恥じない女性に育て上げる。
関西を離れ、東京の知り合いの会社に勤めつつ、母親役も兼務し、一生懸命に過ごした。
そして、四年が過ぎ33歳になっていた。
しかし、ずっと典子さんの最期の言葉が、頭の中に甦り何度も思い返されるようになった。
それは、
「私が亡くなっても、好きな事をやってね」
という言葉。
敢えて隠していたが、ラグビーに対する悔いが残っているのは確か。
そして、小さかった娘達に、再び雄姿を見せたいという願望もあった。
娘達も応援してくれている。
母親にはなれないが、父親なりの育て方をしたい。
それは、背中で教える事ではないか。
それには、一番ハートを見せつけられるのがやはりラグビーしかない。
再挑戦するには、ラストチャンスの年齢。
知り合いに、その心情を吐露し、古豪・リコーへの入団が決定した。
専門的ポジションのタイトヘッドプロップは、どこのチームからも喉から手が出るほど引く手数多(ひくてあまた)だった。
それも実績のある、佐藤。
四年のブランクを微塵(みじん)も見せず、即戦力として活躍した。
それには、秘密があった。
実は現役を退いたとは言え、ウェイトトレーニングは続けていたからである。
恐らく、現役の未練があったのだろう。
ただ、自分の願望より娘の幸せを一心に願うために、自分の願望を仕舞い込んでいたのだと思う。
しかし、隠し切れないし思いをウェイトトレーニングで発散していたんではないだろうか。
ウェイトトレーニングを続けていれば、何か起こるかもしれない。
それは何かは分からない。
しかし、その佐藤の根拠の無い確信からの努力が功を奏したのである。
そして三年を現役で過ごし、全うして引退した。
二人の娘も成長し、暇を見つけては応援に出向いた。
そして、声をからして一生懸命に応援した。
かっこ良い父親の雄姿を、目に焼き付けた。
佐藤も、親父の背中を見せ付ける様に懸命に戦った。
この家族愛に絆は、非常に美しい。
佐藤の妻は、もう一つ最期に、
「新しい人を見つけて、絶対再婚してよ」
という言葉があったが、それは実行できていない。
娘にも母親がいた方が、良いのは分かっている。
しかし、想いが強く踏み出せない物があったのだろう。
今回は、考察は敢えて控えさせていただく。
ただ、佐藤の生き様は非常に格好良い。
試練に負けず、時間は掛かるが栄養に変える勇敢な精神。
それに、この家族愛と絆は涙を禁じ得ないし美しい。
後は、皆さんそれぞれ感じて、それぞれ消化していって欲しい。
(2007年9月13日)
- 2008/01/14(月) 12:58:57|
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議員や公務員の不祥事が連日報道され、それらに対して日常の事と受け止めて慣れ過ぎてしまい、義憤(ぎふん)すら抱かなくなってしまった危険な状態にある日本人の精神状況。
その危険な状態を自覚させ、正常な精神状況に戻らせるのに良い薬となる話が幕末の日柳燕石(くさなぎえんせき)の人生にある。
日柳は、現代もお遍路さんで有名な香川の金毘羅さんを縄張りとする琴平の博徒(ばくと)の親分として知られた人物である。
博徒とは、博打(ばくち)を生業(なりわい)とする、今で言うやくざの事だ。
このやくざの親分である日柳は、異質のやくざとして有名であった。
それは、まず勤勉家であった事。
実家が、質屋をも兼ねる豪農であった為、金銭的な余裕があり、12歳の頃より儒学を学び、儒教の教則本として著名な「四書五経(ししょごきょう)」を14歳までに読破していた日柳の書いた漢詩や随筆のレベルは、当時の学者をも凌駕するとして評価されていた物であった。
その為、日柳をやくざとしてではなく学者として評価していたある学者が、日柳に、
「学者の癖に、やくざ風情に狂乱しているのは、けしからん!」
と忠言(ちゅうげん)すると日柳は、
「私は、学者ではなく紛れもないやくざです。詩人が博打を打つと言えば問題だが、博徒が詩を書くのと言えば問題ないだろう」
と奇を衒わず(きをてらわず)分を弁えた(ぶんをわきまえた)回答をして驚かせた。
やくざは、後ろ指差される日陰の存在である裏稼業。
しかし、学者は尊敬される表立った存在。
どちらが偉いというのは無いし、人間性は評価と相反するという例は現代においても数多く見られるので上記の評価は当てにはならないが、固定観念としてそういう概念が強固に土着しているのは否定できない。
だが、その表の桧舞台(ひのきぶたい)に出れるチャンスに惑わされず、浮き足立たないで極道に邁進(まいしん)した日柳は精神的成熟度は相当なものであっただろう。
この日柳が、他のやくざの大親分と異質な存在として評価された所以(ゆえん)は、国民の血税で生きている政治家や警察を筆頭にする公務員に一番必要な奉仕する義侠心を持っていたからである。
しかし、日本の政治家や警察を筆頭にする公務員に奉仕の精神などは絶滅した。
それも、血税を搾り取っていながらなので救いようがないほど始末が悪い。
日柳は、血税を搾り取っていないボランティアながら、奉仕する真の義侠心を持っていたのだ。
日柳の人生は、人助けを貫き通した。
それは、我が身を危険に晒(さら)しても。
庶民の困窮は、自分の困窮。
農民一揆には、先頭になって参加。
もちろん投獄されるが、屁とも思わない。
天災で、郷土の自然が破壊されたとなると、率先して修復しに向かう。
もちろん、対価などは求めない。
そして、その侠骨(きょうこつ)の高名が諸国に知れ渡り、幕末の志士達は混迷を極めたり追手に追われたりすると日柳を頼ってくるようになった。
高杉晋作、中岡慎太郎、木戸孝允(桂小五郎)、伊藤博文などが、日柳にお世話になった幕末の志士として有名である。
特に高杉を匿った罪を問われて、また四年間も投獄されたが気にする素振りなし。
志士を匿った日柳の住まいである「呑象楼(どんぞうろう)」は倒幕の機運が高まると共に活況を呈していた。
更に、江戸から近いという事で、新政府軍につくか、幕府軍につくかと混迷を極めた館林藩(群馬県)の窮状を、旧知の仲であった藩士に新政府軍への恭順を進言し、戦火を逃れさせたという武勲もある。
地元にとどまり、地元で倒幕の志士を支援した日柳は、遠く離れた関東まで影響力が鳴り響いていたのだ。
しかし、投獄から帰還すると、一番評価し可愛がった高杉が既に死去。
悲しさを噛み殺し、新政府軍に従軍した。
だが、劣悪な投獄環境が災いし、途中で死去。
越後で52歳の生涯を閉じた。
書き出しに書いたとおり、この日柳の人生は不埒な政治家や警察を中心にする公務員に学んで欲しい。
国民から絞り取った血税で生かされているのだから、それに報いるのが仕事。
しかし、もちろん一般の方も学び取って欲しい。
それは、
不利や負けると分かっていながら、義の為に身を捧げる義侠心。これが、人心を惹きつける根源力。
そして、
私利私欲に走らず、常に人の為にが行動規範。これが、信頼を勝ち取る所以。
最後に、
いつまでも向上心を持ち、精進し続ける継続力。これが、説得力の源泉。
この三点が特に、日柳から学ぶべき点だと思う。
政治家や警察を中心にする公務員には、耳が痛すぎる潔い人生を送った日柳燕石。
この義侠心を持った為政者が現れる事で、日本は良い流れにがらっと変わる。
そして、集団の中でこの義侠心を持った人が現れれば、その集団は本物へと生まれ変われる。
その人になるかならないかは、自分次第。
ただ、爪の垢を煎じて行動指針に少しは組み込むべき人生だと私は確信する。
(2007年9月10日)
- 2008/01/14(月) 12:56:45|
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歴史に興味のない方でも、日本史の授業で「大塩平八郎の乱(1837年)」という民乱を耳にした事がある方も多いだろう。
その民乱を起こしたのが今回の主人公、大塩平八郎(1793〜1837。享年45歳)その人である。
大塩平八郎は、江戸後期の大阪の武士で、儒学者でもあった人物。
大塩の役職は、与力(よりき)。
今の役職で言えば、警察のような事をしていた仕事である。
その中で与力は、警察署長の警視や警視正位の地位と言われいる。
当時の大阪は、現在の日本と負けず劣らずの腐敗した社会であった。
汚職・収賄・賄賂・談合、何でもござれの百花繚乱で地位や権力を利用し私利私欲を貪る(むさぼる)者が雨後の筍(うごのたけのこ)の如く続出する状態。
大塩は、今で言う堅物。
現在の官僚は、始めは威勢の良い事を言っていても同じ穴の狢(むじな)で、腐敗に飲み込まれて悪しき伝統を継いでしまうが、大塩だけは清廉でその伝統には馴染む事が出来なかった。
その為、内部の大きな敵に対して堂々と内部告発をしたりもした。
しかし、それも蜥蜴(とかげ)の尻尾切りで、本当の悪は生き残り下っ端が切られる現在の官僚や政治家の不祥事と全く一緒の状態で収束した。
それでは、内部告発も全くの水の泡。
大塩の中に、無常観が漂うようになっていた。
同じ頃、大塩はそういう世界に嫌気が差し、私塾・洗心洞を設立し、善導教育を開始。
大塩の師事した陽明学を中心に、教え説き、大塩の人柄もあり門下生も増えていた。
正義に生き、その堅物さで鼻つまみ者であった大塩を応援する上司もいたが、その上司が去った事で、洗心洞の好調もあり大塩は万事休すと職を辞し、私塾での善導教育に生きようとした。
その時、大塩37歳。
あまりにも早い離職であったが、正義感の人一倍強い大塩においては、何事もせずに服従するには居心地が悪すぎた。
若人を善導教育し、その若人が弱者を挫くのではなく助ける世の中に変革して欲しいとの願いを込めて教育していた。
それはそれは、充実した時であった。
しかし、そんな最中、江戸三大飢饉として有名な天保の大飢饉(1833〜1839位)に日本全土が見舞われてしまう。
大塩の考えでは、天災は人災。
人の善意で、天災の被害は最低限で食い止められるという考えであった。
大阪でも何十万人の餓死者が出たと言われる惨状の中、豪商は米をあらん限り蓄え、同僚だった大阪の為政者はその米を結託して江戸へ流し、地元大阪人を見殺しにするばかりか、自分の出世の為と利殖のために利用していたのである。
この状態も今の世の中の不条理と、あまりにも酷似しているが、大塩はこれが許せなかった。
大塩は、意見書を提出。
「豪商の隠している米を飢えている人へ、提供してください」
と。
しかし、聞く耳を持つわけがなかった。
反対に、
「堅物のOBが生意気に」
と疎まれ、目の敵にされる始末。
そこで、大塩は決心した。
大塩が信奉して、教育する陽明学の思想、「知行合一」を身を持って実践しようと。
「知行合一」とは、簡単に言えば、
「思ったことは行動しなければ成就しない」
と言う行動主義。
大塩の行動は、武装蜂起であった。
まず、大塩は自分の蔵書を全て売って金に換えた。
その金銭を全て、貧民に配った。
大塩は学者である。
その学者の蔵書は、命にも等しい。
しかし、そ