新与太随筆

以前運営していた、「与太随筆」をバージョンアップして引っ越してまいりました。目玉企画は、世の中の不条理を褒め倒して風刺する「褒殺風刺地獄」と、枠に囚われずに感化善導出来る話を紹介する「人生の教科書 一日一話」です。

銃規制に絡む警察批判に対する反論

二人が即死した長崎県佐世保市のフィットネスクラブでの散弾銃乱射事件。
犯人の銃所持許可を出した警察に対して批判が噴出していますが、それは全くのお門違いである。
まず頭に入れていただきたいのは、その批判を受けているのは日本の警察ですよ。
日本の警察は、
「泥棒は警察の始まり」
とか、
「嘘つきは警察の始まり」
という格言があるほどの、世界に誇る犯罪者集団。
それも、拳銃の事を批判するなど持っての外である。
皆さんお忘れになったのでしょうか?
今年8月21日に起きた東京・立川のストーカー警察官(友野秀和巡査長、当時40歳、富士見台交番勤務)の、その女性への射殺事件。
もちろんその拳銃は、警察の拳銃。
それも、勤務中に。
更に、その警察官にはそういう事件を起こす前兆があったという。
その問題行動も、全く不門。
勤務中に、行方不明になっても、何の問題もない。
拳銃での自殺事件も、掃いて捨てるほどある。
それに、再発防止策など単なるポーズであってないようなもの。
管理体制に変わりはない。
現に、拳銃不正使用事件も今月13日栃木県真岡署の23歳の巡査により起きている。
そんな警察に、犯人の銃所持許可を出した事を批判しても全く意味は無いのである。
その能力はないし、その気すらさらさら無いからである。
能力が無いものに、求めてもしょうがない。
それは、酷としか言いようが無い。
その中で、日本警察は頑張っていると私は評価しています。
なぜならば、そこまで腐敗しきっている日本警察の内情を、日本国民にほぼ知られないようにしている隠蔽能力が、世界でも類を見ないほどの能力があるからである。
個人の不祥事はもちろん組織的な不祥事も、連日のように起こっていながら、雨と鞭を使い分け報道機関を御用機関に完全に手なずけている。
それは、日本警察の世界に誇るべき匠の技である。
批判は、正すべき能力や気持ちのあるものに有効なもの。
それが、日本警察には存在しない。
ならば、批判は意味を成さない。
無駄そのものなのである。
それを、批判する方たちは理解するべきだ。
治安を維持する行政機関が、警察。
その能力や気持ちが、日本の警察には全く存在しない。
その代わりに、連発する不祥事を隠蔽する能力は追随を許さない世界屈指の能力を誇る。
これを理解できれば、日本の埃である警察を批判する気は起きなくなるはず。
出来ない、やる気が無い人を批判するのはいじめそのもの。
それを冷静に理解いたしましょう。

ここで、訂正があります。
三行前の文中の、
「日本の埃である警察」
の一文が間違えていました。
正解は、
「日本の誇りである警察」
です。

福田康夫首相は流石です。
本日午前中の首相官邸での記者会見(で、
「銃取締り非常に難しい」
と発言。
無責任に写りますが違います。
警察にその能力ややる気が無いのが分かっているのです。
それも、それを取り仕切る日本国の最高責任者である総理大臣の福田康夫首相も、統治能力も、それをやるやる気も全く無いのです。
だから、正当な批判が弱い者いじめになってしまう。
これらを、日本国民の皆さんは無理矢理理解しましょう。
合掌。





佐世保銃乱射事件
  1. 2007/12/17(月) 17:10:57|
  2. 褒殺風刺地獄
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モンスターペアレンツの皆さんへのアドバイス

最近のニュースを見ていると、
「モンスター・ペアレンツ」
という単語が、やたら出てくるのをお気づきだろうか?
「モンスター・ペアレンツ」とは、学校や教師に理不尽な要求をする親の事を言うという。
その代表的な例は、
 
・不登校の子が家でストーブをけり倒した。学校が弁償してほしい
・いじめに遭う我が子を転校させるので、通学の交通費を出してほしい
・義務教育は無償なので野球部のユニホームは学校で洗濯すべきだ
・写真の中央に自分の子供が写っていない
・休んだ1週間分の給食費を返してほしい
・参観日に授業を録音した親が「先生の授業はここがよくない」と指摘
(以上 毎日新聞より引用)

・自分の子供が注意されたことに逆上して職員室に乗り込み、延々とクレームをつける(「クローズアップ現代」に登場)
・早朝であろうが深夜であろうが教職員の自宅に電話をかけ、何時間もクレームをつける(「クローズアップ現代」に登場)
・子供同士の喧嘩に介入し、相手の子供を非難する長大な文書を学校に持ち込んで処罰を要求する
・自分の子供がリレー競技の選手に選ばれないのは不自然だとクレームをつける
子供がプリントを親に渡さなかったことを、教師の指導のせいにする
・「自分の子どもを手厚く指導するために専用の教員をつけろ」「我が子を学校代表にして地域行事に参加させろ」などと要求する
・「○○小学校○年○組の○○という児童はクラスの迷惑なので学校に来させないでくれ」といきなり都道府県の教育委員会に匿名で要求する
・授業参観で他人の子供のクレームをつけ、親同士で喧嘩する。(「わかってちょーだい!」に登場)
・「遅刻がちの子どもを担任が迎えに来ない」などという理不尽なことを教師のせいにして学校にクレームをつける。
(「WIKIPEDIA」を参照。)

これを見て私は、「モンスターペアレンツ」の方たちもまだまだ甘いと苦笑してしまった。
裏社会で例えれば、「モンスターペアレンツ」は珍走団とか暴走族と言われる半人前ともならない人種。
しかし、攻めている教師や学校や教育委員会は、暴力団やマフィアと言われる本物。
なぜならば、日本人ならば義務教育期間中でも一度や二度は教師の体罰を見たことは無いだろうか?
それは無いにしても、蔑視(べっし)発言や差別発言は聞いた事があるだろう。
体罰で、生徒を殺した例も何件もある。
自殺へ導いた例もある。
体罰はもちろん、聖職が性職の間違いであると言われても否定できないほどの性的体罰は数え切れないほど引き起こしている。
それらは、私達庶民は当たり前のことのように全く問題視しない。
それに、立場が強いから隠蔽(いんぺい)や偽装も朝飯前。
学校教育法第11条という列記とした法律に明文化されているのにもかかわらず、政府や警察権力は見て見ぬ振り。
人の命も、教師などにかかればそんなものという動かぬ証拠である。
聖職の聖域が、私達庶民の深層の固定観念に土着してしまっているから、私達庶民は疑問すら抱かない。
それに、卒業するとノスタルジーと共に、それを良い思い出として心の片隅に置いてしまう。
ただ、よーく冷静に考えていただきたい。
「モンスターペアレンツ」VS「教師・学校・教育委員会・文科省」のどちらが、本当の悪か?
上記の例で皆さんお分かり(ばんじゃく)の通り、全然問題なく「教師・学校・教育委員会・文科省」のぶっちぎりの勝利は動かないだろう。
それだけ、教師などは磐石な基盤を築いているので、殺そうと精神的に破壊しても大怪我をさせても厳然とした法律を問題視されないでいられるのである。
ただ、無理な要求をしただけで、これだけ問題視されて迫害されてしまうのは、その基盤が脆弱(ぜいじゃく)な証拠。
社会なんて、
「弱いものには徹底的に強く、強いものには徹底的に媚び諂い屈する」
のが、真の姿。
「モンスターペアレンツ」の皆さんも、要求を受任してもらえたいのなら教師などの悪態の限りを学ぶべきなのである。
それも、教師などの悪態は私利私欲のためだけのため。
しかし、「モンスターペアレンツ」は、自分の子どものため。
ここも、脆弱さの象徴。
なぜなら、私利私欲は際限なく突っ走る事が出来るが、身内の為は愛を根本とするため身内の為に抑制してしまう為である。
色々考えてみると、「教師・学校・教育委員会・文科省」の法律を物ともせず、教師などの犯罪を国民の意識に当たり前と根づかせたその悪態の限りは立派としか言いようが無い。
暴力団の暴力は、小さな事でも重箱の墨を突付くように、問題視される。
しかし、教師などは問題視されない事が多い。
もちろん、その組織も脆弱になってきたのか以前よりかは発覚する事が多くなったが、「モンスターペアレンツ」の方々とは比べようの無い聖域を維持しているのは確かである。
流行りは廃(すた)れる。
「モンスターペアレンツ」なる言葉など、その流行と一緒のレベル。
だから、法律を犯しても問題視されず、日本国民の意識にその犯罪が教育の一環として疑問視されずに感謝すらされる位の悪の限りを尽くさなければ、日本では聖域になれないと言う現実を理解しなければいけない。
「教師・教育委員会・文科省」は、警察に続く暴力団そのもの。
教育評論家で作家の灰谷健次郎氏が主張するとおり教員は、
「教育やくざ」
そのもの。
博打や露天商以外で生計を立てるのではなく、一般社会の経済活動に正業を持つ新興のやくざを「経済やくざ」という新種として区分したが、教師などはそれらを凌駕する「教育やくざ」。
戦地に教え子を数多く戦地に送っても全く反省もせず「教育やくざ」にのし上がった教師などの方々。
「モンスターペアレンツ」も主張を展開したいなら、その爪の垢を煎じて、流行を乗り越え触れてはいけない聖域になるように頑張るべきである。
それには、これまで露呈した教師などの綺羅星の如き犯罪を勉強する事。
そうすれば、その凄さに閉口してしまう。
そこで、私には無理だと諦めるならそれまでの流行だったのです。
それでも、教師などのような悪態を突き通せるという自信を崩さない人であれば、教師などのように追及してみてください。
しかし、いく手は困難の連続である事は覚悟すべき。
教師などは、国も国民も恐怖の核で覆って、それをマインドコントロールして疑問まで抱かせないようにしてるのですから。
ご健闘を祈ります。
合掌。







  1. 2007/12/07(金) 12:00:25|
  2. 褒殺風刺地獄
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武道に対する偶像を払拭した桐蔭学園柔道部員事件

高校柔道の名門・桐蔭学園(神奈川県)の柔道部員が、うら若き19歳の女性を突き倒しバックを強奪。
柔道の基本技である「締め」で、女性の首に腕を廻し住宅街を焼く10分間、約1kmに渡り連れ回した。
飲酒後の凶行。
175cm90kg位の大男の少年が、うら若き19歳の女性が身動きが取れないほど首を締め上げ、連れ回した。
柔道の基本技である、締め技は殺人も容易に実行できる危険極まりない技。
路上で頭から倒れて死ぬ可能性が容易に予想されるのに、思いっきりか弱い女性を突き倒して、更に殺人技でもある締め技でしつこく締め上げた。
正に、殺人未遂そのものとしか言いようが無い。
桐蔭学園は、神奈川県でも屈指の進学校と知られる名門私立。
それにプラスして、スポーツも各部活で全国トップレベルの部活を多数抱える稀有な文武両道の学校として全国に名を轟かせている。
柔道部も、2005年に全国高校選手権と金鷲旗の二冠、2006年には全国高校総体(インターハイ)を制覇した全国屈指の強豪。
しかし、ここでただ単に批判に晒(さら)すのは、本質からずれると思うのは私だけだろうか?
反対に私は、この部員に賞賛の拍手を送りたいと思う。
それは、批判の根本には、
「人格の形成を推進する崇高な武道のエリートが、殺人未遂と言われておかしくない、低俗な事件を起こした事は言語道断。それも、人格形成のための修養で身につけた技を、弱い者を狙い、それも叩き潰す意味で使用した事は武道の道に外れる」
と。
しかし、この殺人未遂のような低俗な事件を起こした部員は、そんな武道に対する偶像崇拝に対して警笛を鳴らす事につながった尊い殺人未遂のような事件ではなかったのかと私は思うのである。
大相撲の横綱・朝青龍の問題が、ここ数日また世間を騒がせていますが、大相撲という自称・日本の国技である武道・大相撲の頂点に立つ横綱・朝青龍。
その行いが、人格の形成を促し、精神修養の道であるという武道の頂点に立つものであろうか?
それは、全くの偶像としか言いようが無い。
武道という道は全くのまやかし。
高貴な人格形成につながる道徳性が身につくはずは無い。
私は、数多くの武道家に、武道に酷似した武道家と知り合いである。
しかし、武道や格闘技を極めれば極めるほど崇高な精神が手に入るかというと全くそのような事は無い。
武道や格闘技が強くなるのと関係が無く、その人自身の心の持ちようによって人格形成の度合いが変わってくるのである。
というより、倫理観に欠如した人が総体的に多く感じる。
武道や格闘技に対する趣味の悪い幻想は、単なる方便。
殺人につながる技を日々修練し、人を傷つける技を日々修練している。
ただ、江戸時代までと違って、常に死と直面しているわけではない。
卑怯より美学に生きる。
佐賀藩の、
「武士道とは死ぬ事と見つけたり」
という葉隠精神は、江戸時代には存在したのかもしれない。
しかし、いろんな文献を見るとそれも極僅かだったみたいですが。
だから、現代に存在するわけが無い。
その武道や格闘技に対する偶像崇拝に対する警笛として実証を与えた若き勇者がこの桐蔭学園の殺人未遂と言われておかしくない低俗な罪を犯した柔道家なのである。
今思い浮かぶメジャーな格闘家では、K1の創設者で空手道・正道会館の創設者石井和義は、私利私欲の象徴である脱税で逮捕。
その正道会館の元・群馬支部長でK1戦士・宮本正明が大麻で逮捕。
「業界の先輩に譲渡してほしい」
と、いうメールが宮本の携帯電話に残っていたそうです。
武道の真実とは、所詮こんなものなのです。
ちなみに今回の話題とは関係が無いのですが、宮本は警察に護身術を御教授しに赴いていたそうなのです。
だから、警察の偶像もそんなものなんです。
話はずれましたが、今回の事件は精神修養の道である武道家の事件として見れば憤慨するのは、至極当然である。
しかし、殺人技と弱い者いじめの技を日々修行する野蛮人である武道家の事件として偶像を剥ぎ取り判断すれば、憤りは消える。
武道や格闘技に対する、偶像で被害者は日々出ている。
殺人だって現にあったし、心身共に傷つけられた人は天文学的に多い。
その偶像を拭い去れば、そういう被害者も激減するはず。
それを、殺人未遂のような低俗すぎる事件を起こした桐蔭学園の元・柔道部員は日本に身を持って知らしめたのである。
これが、前記した葉隠精神か。
現代の葉隠、それはその殺人未遂のような低俗過ぎる事件を起こした桐蔭学園の元・柔道部員なのではないか。
そう考えると、非常に崇高な武道家ではないか。
武道及び格闘技に対する偶像を取っ払った16歳。
「偶像王子」は、真の武道家であると私は評価します。
合掌。


  1. 2007/12/03(月) 11:42:23|
  2. 褒殺風刺地獄
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プロフィール

Author:善導義塾塾長
1974(昭和49)年生まれ。日本体育大学卒で現職は御荷物三流ドアマン。趣味は、
・乱読(遅読派)
・アジテーション(扇動)
・権力の不正濫用に抵抗する事
・金をかけないトレーニング(鉄棒・平行棒を中心とする自重トレーニング、プライオメトリックス、SAQ等)
・日帰り低山登山(締めは立ち寄り湯)
このブログを基盤に、権力の腐敗を監視糾弾する為の執筆活動及び政治活動・社会運動に没頭したいというのが夢です。

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